夕の森
明治37年2月、春草は岡倉天心・横山大観らと共に米国へ遊学する。そして同地で西洋の美術の実際を肌で体験しつつ、また5度にわたって展覧会も開催した。そして日本での悪評とはうってかわり、米国では高い評価で受け入れられている。 […]
続きを読む明治37年2月、春草は岡倉天心・横山大観らと共に米国へ遊学する。そして同地で西洋の美術の実際を肌で体験しつつ、また5度にわたって展覧会も開催した。そして日本での悪評とはうってかわり、米国では高い評価で受け入れられている。 […]
続きを読む霧に霞んだおぼろ月と、うっすらと浮かぶ桜の若木とを描く。朦朧体の効果が遺憾なく発揮されており、霧につつまれた空間や、上空からにじむ月の光が印象深い作品である。 本図は春草が米国で制作した作品と伝えられている。彼は明治37 […]
続きを読む雲間から顔をのぞかせる満月の下に、舞い飛ぶ三羽の雁を描いた作品である。背景にみられる雲は雲海の如くにモコモコと描かれるが、胡粉を用いた独特の描写法が用いられているために、不思議な透明感を伴った表現となっている。一方で、雁 […]
続きを読む水辺に立つ一匹の牡鹿の姿を、静寂な空間の中に描写する。鹿の表情は厳しく、強い精神性を感じさせる作品である。 主題となる鹿は、角の凹凸の立体感や細かな毛の質感まで表現されており、写実性に傾いた描写がなされている。また背景の […]
続きを読む「霊昭女」とは、中国唐代の龐居士の娘のことで、竹籠を売って両親に孝養を尽くしたと言われる人物である。古くより禅宗の画題として用いられ、図像としては少女が竹籠を下げた礼拝像風に描かれることが多い。 本図は背景を一切省き、霊 […]
続きを読む新緑を帯びた起伏を持つおぼろげな丘と、その上に立つ桜の若木を描く。まだ明け切らぬ春の朝の気配を捉えた作品である。 春草は明治32年頃から没線主彩、いわゆる「朦朧体」による絵画技法の研究を続けていた。この技法は画面に霞を導 […]
続きを読む〈白衣観音〉は、春草が明治34年9月に、大観と共に飯田へ帰省した際に描かれたものであり、当館の岩崎新太郎コレクションに含まれる作品である。岩崎新太郎は飯田の呉服商で、明治後期から大正期にかけて書画の収集をおこなっていた人 […]
続きを読む鴨たちが集う月下の砂州を描く。本作は春草にとっては「朦朧体」の作風を試みていた時期の制作であるが、朦朧体特有の空間への意識はそれほど感じられない作品である。対して銀泥で装飾的に描かれた満月や、楕円状に伸び上がる奇妙な形の […]
続きを読む