松尾・市村資料

松尾・市村資料 187点

飯田市松尾の元市村書店主市村清一氏は県内高校教員を勤め、平成13年に亡くなられた。平成16年2月、店舗・住宅等を解体するにあたり、書籍等を飯田市美術博物館に寄贈された。

当目録に記載されているのは全部で187冊であるが、そのうち約半数近い79冊が謡本である。また、春秋左氏伝(15冊)、文政時代の「主従の心得」(11冊)、「童蒙をしえ草」(5冊)をはじめ、「美術世界」・「帝国絵画集」など美術関係の書物が目をひき、さらに、論語・茶道・華道・俳句等広範囲にわたる教養書・実用書が含まれている。

岩澤家文書

小伝馬町二丁目 岩澤家文書 134点

岩澤幸年(1772~1848)は安永元年(1772)飯田藩士岩澤禰市兵衛の長男に生まれた。通称彦六または忠喜・幸年・葵芳・知足・亀彦と号した。和歌を橘千蔭・村田春海に学び、のち桃漂夢宅並びに香川景樹に学ぶ。また、森廣主・植松茂岳・服部菅雄等が相前後して飯田に来るや、和歌並びに国学を修め、飯田を中心とした文人と交流し、飯田藩の御祐筆であった関係から、写本・著書等数多く、「ちりつか集」10冊、「あふいの花」6冊、「さきくさ集」1冊、「耳目集」4冊等の遺物がある。

当文書目録には、和歌集を中心に、兵法、四書五経、日本外史、日本書紀、漢文書等の一部が掲載されている。

仇なりと思ひすてても柴の戸のさすかに花のあけぼの

この詠は彼の詠歌中の絶唱だと言われている。

市岡家文書(補遺)

旧飯田役所代官 市岡家文書(補遺) 102点

市岡家は伊那地方の榑木山を管理した美濃久々里(現岐阜県可児市)の旗本千村氏に仕え、千村氏の管理する飯田役所の重役として役所内に屋敷を構えた家柄である。

三重県津市に住む市岡家より数多くの資料が寄贈、一部購入されているが(『文書目録』Ⅸ。282点掲載)、このたび新たに13代当主市岡尚子氏より市岡家の資料211件、157点が飯田市美術博物館に寄贈された。この文書目録には、それらを追加目録とするものである。

内容は主として明治3年以降31年までの諸事附込帳、明治九年以降大正10年までの日誌ならびに明治30年以降大正6年までの金銭出入牒のほか、勤皇家松尾多勢子の和歌(一幅)や短冊帳も含まれている。

主に市岡家が飯田を離れてのちの仕事、日常生活や暮らし振りを知る事が出来る。