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特別展「城下町飯田と飯田藩」
 令和4年9月23日(金・祝)~11月6日(日)

飯田城想定復元図

今年は堀親昌が飯田の領主として下野烏山(栃木県那須烏山市)から飯田入りして350年。また城下町の基礎を築いた京極高知の没後400年の節目にあたります。
この特別展では、城下町飯田のなりたちから人びとのくらしぶり、飯田大火から復興し城下町から近代的な防災都市へと再生した町の様子などを紹介します。

[展示のみどころ]
①地図に注目
飯田の町は、飯田城とその城下町の建設時から歴史の表舞台に出てきます。その建設や領内を把握するために作られた絵図や地図を展示します。絵図を見て、町の移り変わりに注目してみてください。

飯田城絵図 江戸時代 飯田市・下伊那教育会蔵

②殿さまのお宝に注目
飯田藩を200年にわたって治めてきた堀家第一の宝物は「千鳥香炉」です。徳川将軍家から拝領し、2つあった可能性があります。今回はそのうちの1つ、埼玉県の遠山記念館が所蔵する香炉「浦千鳥」が里帰りします。

青磁香炉 銘「浦千鳥」 南宋時代 埼玉・遠山記念館蔵

③有名人の古文書に注目
武田信玄をはじめ、歴史上の著名人の史料が並びます。歴史好きには心躍る機会になるでしょう。

 

[時代背景]
特別展では、戦国時代から昭和22年の飯田大火まで、城下町飯田の400年にわたる長い歴史を振り返ります。

①戦国時代 群雄割拠の時代
戦国時代には、武田信玄や織田信長などの有力武将たちが飯田を中心とする伊那郡の支配をめぐって争い、めまぐるしく領主が交代しました。豊臣秀吉が天下統一を果たし、配下の毛利秀頼・京極高知らが飯田城に入ると、上方文化の影響を受けながら城下町が整備されていきました。

脇坂安元像 江戸時代 林羅山賛、狩野元俊画 個人蔵

②江戸時代 幕藩体制下の飯田藩
徳川家康によって江戸に幕府が開かれると、飯田藩は小笠原秀政(5万石)、脇坂安元・安政(5万5千石)と主が交代します。寛文12(1672)年に堀親昌が下野烏山(栃木県那須烏山市)から飯田入りしてからは、明治4年(1871)の廃藩置県までおよそ二百年間にわたり、堀家の治めるところとなりました。この間、豊臣時代に10万石あった飯田藩の石高は2万石弱にまで縮小しましたが、飯田の町は東西南北の街道が交わる地の利を活かし、流通・経済の拠点としてにぎわいました。二万石の小藩でありながら、経済的な豊かさに支えられた飯田の町には、さまざまな人やモノ、情報が集積し、町人たちを中心に洗練された文化が花開きました。

堀親昌像 江戸時代 飯田市・長姫神社蔵

③明治以降 飯田城の廃城以後
明治維新にともない、飯田藩と飯田城の歴史に終止符が打たれます。財政難のため土地や建物を含む城主や藩の所有物はことごとく解体・売却されました。飯田城が廃城になると、その跡地利用を含めて近代的なまちづくりが始まりました。「飯田大火」は、かつての城下町の面影を残した景観を焼き尽くしました。これを機に飯田の町は近代的な防災都市へと変貌し、現在に至る景観が形作られていきます。

[城下町探訪]
美術博物館では、飯田城と城下町の復元を試みてきました。城下町の痕跡を見つけるのは簡単ではありませんが、説明を聞きながら町を歩くと、思いのほかその面影が残っていることがわかります。美術博物館では折に触れて見学会を行っています(附属事業)。学校や学習グループ向けにも随時行いますので、お気軽にお問い合わせください。

[附属事業]
特別展期間中に、次の講座・見学会の実施を予定しています。いずれも事前予約制となりますので、詳しくは特別展チラシまたは美博ホームページをご覧ください。
また「城下町サポーター」の皆さんがこの特別展でデビューし、見学会や展示解説会の解説を行います。

①特別講演会「結構なる城地―堀家飯田藩と城下町飯田―」10月15日(土)
講師 吉田伸之(市歴史研究所所長、東京大学名誉教授)

②連続講座「城下町飯田と飯田藩」11月3日(木・祝)
講師 下平博行(市文化財保護活用課)、伊坪達郎氏(松川町資料館学芸員、当館評議員)、青木隆幸(当館専門研究員)

③城下町見学会 10月2日(日) 案内「城下町サポーター」の皆さん

④展示解説 11月3日(木・祝)、6日(日) 案内「城下町サポーター」の皆さん

菱田春草常設展示 

第37期 菊慈童に迫る-春草と朦朧体-

会期:2022年9月3日(土)~10月2日(日)

菱田春草は、明治7年(1874)に飯田・仲ノ町に生まれ、生涯を日本絵画の創造に尽くした日本画家です。明治30年代の輪郭線を用いない革新的な画風「朦朧体」や、明治40年代の装飾性を重視した画風は、日本画が進むべき道筋を示しました。腎臓を害して眼病に苦しみ、満36歳で夭折しましたが、彼の活躍なくしては日本画の近代化はあり得なかったでしょう。明治以降の画家で最も多い4点の作品が重要文化財に指定されていることも特筆されます。
第37期の展示では、朦朧体の代表作《菊慈童》に焦点をあて、明治30年代初頭に、春草ら日本美術院の作家たちが試みた空間表現を紹介します。日本画の近代化を目指した春草は、輪郭線を排除して空間表現を重視する新たな画風を研究しました。これは斬新に過ぎたため、鑑賞界からの理解が得られず「朦朧体」と酷評されますが、次世代の画家たちに大きな影響を与えました。
春草の誕生日(明治7年9月21日)と没日(明治44年9月16日)がある特別な9月「春草マンスリー」に、若き春草の挑戦とその成果を、じっくりとご覧いただけましたら幸いです。

主な出品作品

菱田春草《菊慈童》
明治33年(1900)長野県宝 本館蔵

自然トピック展示
トンネルの中から地中をのぞく

会期:2022年9月27日(火)〜2023年1月29日(日)
会場:自然常設展示室トピック展示コーナー

 

人文トピック展示
飯田町の学問と文化
-千村陣屋飯田役所重臣市岡家を中心に-

会期:2022年9月13日(火)〜12月11日(日)

会場:人文常設展示室トピック展示コーナー

江戸時代の飯田の町は、飯田城の城下町である一方で、伊那郡内の山林資源を管理する旗本千村氏の陣屋が置かれた町でもありました。その千村陣屋飯田役所の重臣が市岡氏です。
とくに5代目の智寛は、役務のかたわら、茶道・華道・文学・禅・和算・天文学など幅広い教養をもった人物でした。のちの博物学に発展する本草学の分野で優れた業績を上げ、キノコの彩色図鑑である『伊那郡菌部』、全国から収集して製作した『鉱物標本』や『貝類標本』などの資料が残されています。
今回のトピック展示では、そうした市岡家の歴史や文化を伝える資料を通して、飯田の町における学問のあり様を紹介します。

【予告】菱田春草常設展示 

第38期 故郷の足跡-春草と飯田-

会期:2022年10月8日(土)~11月6日(日)

菱田春草は、明治7年(1874)に飯田・仲ノ町に生まれ、生涯を日本絵画の創造に尽くした日本画家です。明治30年代の輪郭線を用いない革新的な画風「朦朧体」や、明治40年代の装飾性を重視した画風は、日本画が進むべき道筋を示しました。腎臓を害して眼病に苦しみ、満36歳で夭折しましたが、彼の活躍なくしては日本画の近代化はあり得なかったでしょう。明治以降の画家で最も多い4点の作品が重要文化財に指定されていることも特筆されます。
第38期の展示では、春草の故郷・飯田に残った春草作品や、飯田ゆかりの作品、書簡等を通して、春草と飯田のつながりをご紹介します。

主な出品作品

菱田春草《白き猫》
明治34年(1901)春草会蔵(本館寄託)