田中芳男ゆかりの資料が寄贈されました

近代日本において殖産興業や農林水産業を推進し、「博物館の父」とも称された飯田出身の田中芳男(1838-1916ゆかりの品々8531506に及ぶ資料群が令和5年6月に飯田市に寄贈されました。

田中芳男(1838−1916)
※この写真も今回の寄贈品のひとつです

田中芳男は、18歳で名古屋の本草学者伊藤圭介のもとで学んだのち、江戸幕府の洋学研究機関である蕃書調所に入り、慶応3年(1867)のパリ万博に参加した。明治維新後は文部省および農商務省の事務官となり、日本最初の化学研究所である舎密局や大学南校物産局の立ち上げに参加し、国内外の博覧会開催に携わりました。この時期における田中の仕事の蓄積が、のちに東京上野公園の博物館群(国立科学博物館、上野動物園、東京国立博物館)の設立に発展していきます。政府官僚を退いてからは貴族院議員となり、農林水産関係の主要団体の会長職を歴任、大正4年(1915)には男爵を授けられ翌5年に77歳で亡くなりました。

飯田市美術博物館における田中芳男関連の所蔵品は、今回の寄贈によって2000点を数えるまでになり、質量ともに「日本の博物館の父」の生誕地にふさわしいコレクションになりました。

田中芳男本人のことはもちろん、日本の博物館の成立史、近代日本における殖産興業や近代学問の受容過程を知る上でも重要な資料群といえます。

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