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受賞作品小論文

一般的に十八ホールのゴルフ場を開発造成するだけで少なくても一○○ヘクタールの用地が必要とされている。一九九七年現在、静岡県には九三カ所のゴルフ場があるがなぜかその半数以上の四九カ所が富士山麓に集中している。それだけではない。さらに山梨県側山麓にも七カ所が存在しあわせると五六カ所。面積にすると延べ五六○○ヘクタールという広大な山麓の森がゴルフ場にとってかわったことになる。それを印象づけるのは東名沼津インターを出ると無数のゴルフ場の標札が否応なしに目に飛び込んでくるのでも分かる。それこそゴルフ愛好家にとってはまさに天国を思わせるかもしれないが主観的客観的にどうみてもこれは異様である。ではいったい、なぜこれほど数多くのゴルフ場が富士山麓に集結するようになったのだろうか。その最大の理由はいうまでもなく環境面の魅力に尽きる。用地買収とコースの造成だけでも巨億の資金が必要とされるためか立地条件のよりすぐれた場所を確保することが最優先課題とされている。

一九三六年、富士山は伊豆箱根とともに国立公園に指定された。風光明媚を謳い文句に観光地やリゾート地と同様にゴルフ場も脚光を浴び、経済優先制作をバッグに結局は一九八九年のバブル崩壊まで間断なく開発が進められた。

また、もう一つこの地域のゴルフ場にとって不可欠の魅力は富士山麓ならではの地下水脈から湧き出る豊富な水資源であろう。マグネシュウムとカルシュウムを含む湧水は日量およそ四六○万トンといわれ地元では古くから主に上水道と工業用水に使われてきた。ゴルフ場にとってはグリーンの芝生の手入れにこの湧水をふんだんに利用できるのは何よりのメリットである。

さて、国立公園になってから六四年になるがこうしてみるだけでも富士山麓の環境は著しく変化していることが分かる。樹海の中に人の手が入り生態系のバランスを崩したのもその一例である。現在こそダムにしても原発にしても開発イコール、環境破壊というマイナスイメージが国の内外ですっかり定着し、交際世論の関心をよぶようになったが、これらにしても明らかに物質文明の所産の一部であり、ゴルフ場が文化を否定するものにはならない。その所為か、富士山が先の正解遺産登録から見送られることになった背景にはやはり環境面の過剰な開発に原因があったのではにか、と懸念されている。

しかし、時代の繁栄と社会のめざましい発展の中で私たちの周囲の身近な所に以前と比べて様変わりするものがある一方で、そうでもないものがあるのに気づく。前者はこれまで述べてきたように経済振興を特色にした環境文化に対して後者は景勝地、名跡、重要文化財、特別天然記念物などによくみられる。

こうしてみてくると果たして今日、富士山麓に開業しているゴルフ場の中で地道な経営努力によって伝統を育み名門コースとして後世にどれだけ夢を残せるか疑問であろう。しかし、あえてこれからを注意深く見守っていくことも今後私たちは新しい環境文化を創造する上で必要とされている。

一旦つくったものを取り壊して再開発することも文化。破壊、浸食、老朽から保護するのも文化である。企業の環境文化戦略しかり。公共文化事業しかり。ものをただつくり替えるだけでなく、そこには健全で快適な環境に身をおく市民や住民の表情を写す鏡になっていかなければ文化に心を開くことはできない。このような考えは何にしても実際、直かに肌に触れるまで体験してみなければ理解できないことが多い。ゴルフ場で撒かれる化学物質混入の排水についても一度被害が広がった途端、対処するにしてもすでに手遅れになっているケースが多い。このあたりを十分に銘記して次世代が二一世紀を安穂に暮らせるように国に対してもさらなる環境整備と法的改正を急ぐことが求められる。

こうした官民一体となった組織的改善努力によっていずれは富士山に代わって新たな候補地が世界遺産登録に向けて道を開いてくれるだろう。その時まで紛れなく、人と自然の共生共存社会をめざした環境教育の普及により、だれもが居心地の良い生活の場を現実のものにしているであろう。

縄文時代から二万年。人々の福祉と安らぎを保障する環境。それは恐らく、現代の粋を集めたサイエンスと高度のテクノロジーに裏付けられたエコロジカル文化を意味するかもしれない。

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選評

「森の詞(ことば)」は三十点ものモノクローム写真で構成されている。その一点一点を鑑賞してゆくうちに見る人を深山幽谷の世界へと導いてしまう魅力を持っている。そこには自然の厳しさ、やさしさ、生命力が感じられ、樹肌や植物の葉のおりなす造形の美しさを再認識させてくれる。それらが飯田氏の視点を通じて発言する森の詞であり、感動をおぼえる。

写真は感性を表現力によって作品が生まれると私は思っている。飯田氏は、自然の風景から色彩をとり除き、モノクロームでなければ表せぬ美しさに作りあげている。作品の中には、若干不必要と思われるものもあるが、それを除けば、感性、表現力ともにすばらしい作品である。

選考委員 田沼武能