柳田家文書 52点

柳田家は、寛文12年(1672)堀氏に従って野州烏山(現栃木県)から飯田に移り住んだ藩士の家柄であり、民俗学者柳田國男の養家にあたる。飯田藩士時代、多くは江戸詰の御側御用人として江戸高田馬場の屋敷にあったが、安政6年(1859)から明治9年(1876)までは、飯田江戸町の可休屋敷(新建)に住んだ。禄高は50石であった。

本文書は、12代目当主となった國男が終生大切に保管していたもので、その没後に妻孝から上田市在住の箱山貴太郎氏に渡されたものが、昭和62年1月、当館に寄贈された。

本文書には、表紙に柳田氏の記名のあるものの他、同じ飯田藩士茂木氏や瀧氏の名の入ったものが含まれる。内容は、日記・覚え等が中心で、中でも大名家の年中行事や御納戸御膳等の記録は注目されるものである。