樋口家文書 23点

樋口家は享保年間(1716〜)に現在の飯田市知久町3丁目に移り、綿屋と称し、飯田藩の御用達も勤めた豪商であった。

日夏耿之介こと樋口国登は、学問に志して上京し家業は継がなかったが、その直系である。

本文書は、日夏が生前保管していたもので、他の遺品とともに飯田市に寄贈され、日夏歌之介記念館の所蔵資料となっているものである。樋口家文書はかつての飯田町を語る重要資料としても知られており、他にもまだ多くの文書があったといわれるが、現在は所在不明である。