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■微化石がつくる白亜の崖■


■快適な鉄道の旅

■セーヌ川沿いの風景

■海岸沿いの景観

■フリントとチョーク

■白亜の崖をのぼる

■快適な鉄道の旅

 ホテルの朝食はバイキング形式で、非常においしい。しかし、ル・アーブルに行くにはどうしても朝食前にホテルを出なければ間に合わない。しかたなく、部屋で前日に仕入れたパンと牛乳、チーズを食べて出発する。
 前日にチケットを購入しておいたので、そのままホームにはいる。ヨーロッパの鉄道は改札口というものがない。フランスの場合はスタンプを押す柱があって、ここでチケットにスタンプを自分で押して日付や駅名などを記録する。旅行ガイドにはこのスタンプがないと、チケットが有効とならないので注意と書いてある。スイスやドイツには何もなく、車掌が回って検札するだけだ。
 7時半にサン・ラザール駅を出発し、ル・アーブルへ向かう。ヨーロッパの鉄道はほとんど機関車が客車を引っ張るタイプだ。日本は機関車がなくて、すべての客車にモーターをつけた駆動輪がある。そのため、日本とは違って静かでずっと乗りごごちがよい。もちろん地盤が安定していて、起伏も少ないからレールの状態がいいことも影響しているのだろう。音もなくいつのまにか出発している。客車の内部は日本とそれほど変わらない。椅子は固定のため、前後の真ん中で向きが変わり、お互いを向くように作られている。真ん中にはテーブルがおいてあってグループ向きの空間となっている。

▲フランスの鉄道
▲鉄道の内部
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■セーヌ川沿いの風景

 日本よりずっと緯度が高いせいか夜明けが遅い。セーヌ川にそって走っているはずだが、外は暗くてよく分からない。ルーアンまで来るとやっと明るくなってきた。しかしどんよりとした厚い雲が覆っていて太陽は現れない。大西洋にメキシコ暖流が上がってきて湿った空気を送り込んでいるせいなのだろうか。日本海側型気候と同じだ。パリの冬を経験した人から聞くと、ずっとこんな天気が続いて、日中でも余り暖かくならないらしい。
 途中川が氾濫原いっぱいにひろがって樹木(柳?)が水没しているところを何度も見た。フランスでの水災害は家屋を押しつぶすような土石流や激流でなく、徐々に溢れてくる溢流であることがよくわかる。そして水源地が遠く離れていることから、パリでそれほど雨が降らなくても山岳地で大雨が降れば、下流で洪水となってしまうわけだ。セーヌ川の遊覧船が橋をくぐることができず、中止となっていた。うねった平原は葉を落とした貧弱な疎林がときどき見られる程度で、ほとんど畑となっている。今は刈り入れ後の灰色の単調な景色だが、青々としている様子をもう一度見てみたいと思う。ときどき現れる小さな町には、赤い屋根と白い壁の家が集まり、周りの景色によくとけ込んでいる。ル・アーブル到着10時頃。

▲ル・アーブル駅
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■海岸沿いの景観

 パリで買った地図を開けながら、海岸へと向かう。海岸まで2kmほど、それからラ・エーブ岬まで2〜3km。タクシーがたくさん止まっていたが、歩くことにした。駅からメインの通りを歩く。日曜なので商店はすべて休み、ひっそりとしている。広い道に車が少なく、歩道や自転車道が広くとってあるので気持ちがいい。20分ほどで海が見えてきた。海沿いは一部がヨットハーバーとなっていて、あとは海水浴でもするのだろうか。砂浜(礫浜?)が広がっている。海沿いの歩道を岬の方へ歩く。海沿いの歩道は散歩やジョギング、サイクリング、犬の散歩をする人達でけっこう賑わっている。町の閑散さとは対照的だ。この歩道が海岸堤防になっているのだろうか。海側に60cmほどの高さの塀があるのみで、海や町並みの展望がすこぶるよい。日本とは自然条件が違うだろうが、景観を大切にしているヨーロッパの人々の思想に触れた気がした。
 しばらく歩くと、礫浜に砂礫の流出を止める突堤が規則的に現れるようになる。ここでも沿岸流による海岸侵食があるのだろう。しかし無粋なテトラポットはいっさいない。礫は黒っぽいフリントが多い。

▲海岸沿いの道
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■フリントとチョーク

 建築物がなくなり白亜の崖が見えてくると、急に歩道がなくなる。崖の上に行くのは後にして、崖下の海岸に降りてチョーク層とノジュール状のフリントを観察する。このフリントは珪酸(石英)質で非常に硬く、チャートとよく似た岩石だ。チョークの炭酸カルシウムが珪酸に置き変わったもののようだ。かつて石器としてよく使われたそうだ。町の中でも塀などによくこのフリントが使われていた。チョーク層は水分を含んで軟弱になっている。崖下の崖錐にはところどころ地滑りブロックが入り込んでいる。
 チョーク層はコッコリスなどの石灰質超微化石からなっている岩石だ。しかし貝殻などの生物片がたくさん混入しているので、それほど遠海で堆積したわけではない。大西洋が誕生してまもなく、海面が上昇して大陸棚上に生産性の高い海が広がったのだろう。完全な化石を探してみたが、はっきりしない巻貝と壊れたベレムナイトしか見つからなかった。このあたりは白亜紀の下部から中部にかけての地層だ。たぶん探せばアンモナイトもあるのだろう。そういえば化石ハンマーをもった人にもすれ違ったし、親子で化石採集しているグループもある。日本より化石や鉱物はポピュラーに違いない。チョークとフリントをサンプリングして、岬の上の方へ登ることにする。

▲ノジュール状のフリント
▲生痕化石
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■白亜の崖をのぼる

 崖の中段に散歩道があった。周辺にはハイキングあるいはマウンテンバイク用?のコースがあって、冬枯れのブッシュの中を歩くことができる。ただし、天候が不順だったのだろう、道はジュクジュクしていて滑りやすく、あまり快適とはいえない。展望の良いところでパンとチーズの昼食をとることにした。
 崖の高さはちょうど100m。崖上から下を眺めると背筋が寒くなる。ガリーが発達しバッドランド状を呈している。ここからイギリス方面を望んだが天候が余り良くないせいか見ることができなかった。岬の一番高いところにコンクリートの塊でできた砲台があった。おそらく第二次大戦の際ナチスの作ったものなのだろう。このあたりはノルマンディー上陸作戦の舞台だ。ル・アーブルの町は戦災でほとんど破壊されたという。50年たった今でも、こういう小さい遺跡から大きな城跡のような要塞まで残っている。岬の入り口の看板で“死の危険”(DANGER DE MORT)と書いてあって注意を促してあるが、個人の責任が重んじられているためか、柵などほとんどない。
 帰路は、要塞を見たり公園でゆっくりしながら駅まで歩き、4時半頃出発のパリに戻る列車に乗った。帰りは検札がなかった。7時にパリに到着、会食会に遅れて参加する。

▲縞が美しいラ・エーブ岬
▲塀をつくるフリント
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