伊那谷は江戸時代後期から明治時代にかけて歌舞伎(地芝居)が大変盛んであったが、明治時代になって、神社にある舞台での歌舞伎や狂言を禁じる県の通達や鑑札制度によって、しだいに廃れ、現在では大鹿村・下條村・平谷村だけとなった。そのなかで大鹿村はとりわけ盛んで、海外公演などにも出かけている。
上演外題は20を越え、なかでも「六千両後日文章」は、大鹿村独特なものとされて貴重である。
この歌舞伎の始まりは、明和4年(1767)の前島家文書の「作方日記帳」に「かしを狂言」の記述があり、当時すでに盛んであったことがわかる。最盛期には大鹿村内13ヶ所に舞台があったが、現在は大磧・野々宮・市場・葦原の四神社に残り(いずれも村有形文化財)、春秋の2回上演されている。