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恒川遺跡群

田中倉垣外地籍―郡衙関連居住域―


●内 容 恒川遺跡群の南側から中央部にかけての広い範囲が該当する。弥生時代以降連続して集落域として利用されており、奈良時代から平安時代も同様で竪穴住居跡が密集している。その中には、和同開珎銀銭や鉄鈴が出土した44号住居址、13×13mと大型で竪穴内に石敷きを持つ壁立建物と考えられ、特殊な遺物が多く出土した76号住居址、大型で円面硯が出土した112号住居址、富壽神寶がカマド脇から出土した2号住居址など特筆すべき住居址がある。掘立柱建物跡あるが、郡衙の建物とは想定できない。こうした状況から、郡衙が存続した時期をとおして、郡衙に関わる有力官人層の居住域と考えられる。
●出土遺物 円面硯・墨書土器「官・□」・刻書土器「美濃」・三彩陶器・和同開珎銀銭・富壽神寶
●遺物の所在 飯田市考古資料館・飯田市美術博物館


44号住居址

76号住居址

112号住居址

円面硯

墨書土器「官・□」

刻書土器「美濃」

三彩陶器

和同開珎銀銭

富壽神寶