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 ■■■地形・地質観察ガイド-高山・主稜線地域-■■■
 赤石岳 椹島〜赤石岳〜荒川岳〜椹島
 
 赤石岳(3120m)から荒川岳にかけては、南アルプスの中で一番奥深い地域といえるだろう。3100mを越える二つの山を連ねた稜線は複雑に入り組んでいる。これは、隆起する山塊を侵食しようと、天竜川水系小渋川と大井川水系奥西河内や赤石沢とがせめぎ合ってきた結果だ。荒川前岳(3068m)では小渋川の侵食最前線をみることができ、毎年のように稜線が北東へ少しずつ移動している。また、この稜線には、カールなどの氷食地形や周氷河地形も発達している。水と氷で彫刻された高山帯の姿が訪れる人の胸をうつ。この山域に入るには、伊那谷からだと、増水が怖ろしい小渋川を遡るか、しらびそ峠から大沢岳経由で南から入るか、三伏峠に登って北からはいるかしかない。いずれにしても2日はかかってしまう。静岡からでも、アプローチが長いが、いったん椹島へ入ってしまうと、赤石岳から荒川岳にかけて2泊3日で周遊できる。ここでは、椹島から赤石東尾根を登り、赤石岳をピストンして荒川前岳・中岳(3083m)・悪沢岳(3141m)・千枚岳(2880m)と縦走し、蕨段を下る人気の高いコースを紹介しよう。

■赤石東尾根を富士見平まで

■富士見平から稜線まで

■赤石岳山頂

■大聖寺平付近のハイマツ 

■荒川岳のカールと大崩壊地 

■荒川三山の縦走路

■千枚岳からの下り

▲富士見平からみた赤石岳のカール
 


 

■赤石東尾根を富士見平まで 

 赤石東尾根は、東海フォレスト創始者である大倉喜八郎が登ったことから大倉尾根とも呼ばれる。赤石岳までまっすぐ登ることができるが、椹島からの標高差は2000mもあり、かなりの体力が必要だ。とくに下部1000mがきびしい。地質は黒色泥岩と砂岩が繰り返す単調な岩相となっている。
 標高2000m付近から傾斜が緩くなり、緑色岩を挟むようになる。2480mピークの周辺は赤色チャートや緑色岩が広く分布している。この赤色チャートが南西方向へのびて、赤石沢のゴルジュをつくっている。赤石小屋付近は砂岩や泥岩からなるが、富士見平付近にも再び赤色チャートや緑色岩がでてくる。
 これらの赤色チャートや黒色泥岩からは直径0.2mmほどの放散虫化石がみつかっている。チャートは砂粒や泥をほとんど含まず、ガラスのような貝殻状の割れ目が特徴だ。この付近の赤色チャートに含まれている放散虫化石は、白亜紀の中頃すなわち1億年ほど前の恐竜時代の生き物だ。
 
▲赤石東尾根と笊ヶ岳

■富士見平から稜線まで 

 富士見平はハイマツ帯となっていて展望は抜群だ。富士山はもちろん、これから歩く赤石岳から荒川岳にかけての展望がすばらしい。赤石岳と小赤石岳の間には2つ並んだカールがみえる。ここには戦時中双発の偵察機が墜落したらしく、富士見平に碑が建てられている。主稜線付近から注意深くカールを探すと、飛行機の残骸がみつかるらしい。
 富士見平からは砂岩と泥岩が主体の岩相となり、ところどころ薄く緑色岩が挟まれたり、貫入岩がはいる。この貫入岩は北北東にのび、荒川岳にも露出している。
 2つ並んだカールの内、北側の方から流れ出る川を登りつめ、カール壁を登るとまもなく稜線にでる。
 
▲カールから流れ落ちる清流

■赤石岳山頂 

 稜線を南へたどると標高3120mの赤石岳山頂に出る。山頂にある一等三角点は日本一の標高である。ちなみに富士山は二等三角点、北岳と間ノ岳はそれぞれ三等三角点である。
 山頂からの展望は申し分ない。とくに一直線に流れる小渋川とその先の大西山の崩壊(昭和36年の梅雨前線豪雨の爪痕)、さらにその向こうに中央アルプス南駒ヶ岳の百間ナギがよくみえる。北西−南東の小渋川の流路は、稜線方向にのびる地質の構造方向を胴切りにする小渋断層そのものだ。
 山頂付近には砂岩と泥岩が分布していて、赤石はない。広い山頂一帯には北東−南西方向の線状凹地ができて起伏に富んでいる。西には百間平の平坦地(侵食小起伏面)がある。この平坦地の起源をめぐって隆起する前の準平原の遺物という考えと周氷河作用によって平坦化されたという2つの考えが出されている。準平原の遺物なら、平坦面が海水準近くで形成されたはずだから赤石山地の隆起量は3000m前後となる。しかし、平坦面上に円礫はなく、角礫しかないという理由から、氷期の凍結融解作用によって平坦化したと考える学者の方が多い。その場合、隆起量はもっと大きくなる。
 
▲山頂からみた富士山

■大聖寺平付近のハイマツ 

 稜線をもどり3000mの稜線歩きをしばらく楽しむと、大聖寺平への急な下りがはじまる。途中にダマシ平と呼ばれる平坦地がある。ここでは淘汰円形土や条線土などの構造土が観察できる。さらに下って緩やかとなったところが大聖寺平である。
 ここでは地形と植生について観察してみよう。植生がなく砂礫が露出しているところは、植物の成長を阻害するなんらかの要因があるはずだ。まず、傾斜地に舌状に膨らんでいる砂礫をみてみよう。これは、土壌水の凍結融解作用によって砂礫が下方へゆっくり移動するソリフラクションローブという地形だ。移動する土壌に植物は根を張ることができない。
 次に稜線をみてみよう。稜線を挟んで西側には砂礫が露出していて、東側には背の低いハイマツが茂っている。稜線の西側でハイマツが育つことできないのは、冬の厳しい季節風が直接吹き付けるからだ。一方、東側や窪地にハイマツが生育できるのは、積雪によって冬季の強風から保護されるからだ。
 

 
▲風衝砂礫地とハイマツ

■荒川岳のカールと大崩壊地 

  稜線の東をトラバースする登山道をたどるとやがて荒川小屋が現れる。荒川小屋はカールの中に建てられていて気持ちのいいところだ。東側が開けていて展望も抜群だ。さらに斜面を巻いていくと、やがて中岳のカール壁の上に出る。きれいに湾曲したカールの形とモレーンを観察する絶好のポイントだ。登山道はここからカールの中に入り、稜線まで登っていく。この間は美しいお花畑となっている。
  ゆるやかな稜線を西へいくと、荒川前岳の山頂につく。山頂の西側はすっぱりと切れていて、荒々しい形相をしている。ここは南アルプス最大の崩壊地、荒川大崩壊地である。前岳から西へのびる稜線が頻繁に崩れるため、高山裏方面へ下る登山道を毎年のように付け替えなければならないという。前岳山頂の標高点も、いずれは間違いなく崩れ落ちてしまうだろう。すでに昔の三角点は崩れてしまったらしい。
 
▲崩壊していく荒川前岳

■荒川三山の縦走路 

 前岳からは3000m峰をつなぐ稜線歩きとなる。中岳をすぎ、悪沢岳へ登る最低鞍部付近から再び赤色チャートが分布しはじめる。ここから悪沢岳の東の丸山まで固いチャートと緑色岩がほぼ連続して分布している。そのため、侵食に抵抗して急峻な高い山ができている。
 ちょうど悪沢岳の登り口には幅30mにわたって貫入岩が急斜面をつくっている。これは赤石岳東尾根にみられた貫入岩の延長にあたる。貫入岩はマグマが大地の割れ目をつたって地表付近まで上ってきて冷えて固まった岩石で、長石などの大きな結晶がガラス質の物質の中にまばらに含まれている岩石だ。まわりのチャートや緑色岩が日本からはるか離れた遠洋の海底でできたのに対し、貫入岩は、赤石山地を構成するチャート・緑色岩・砂岩・泥岩などがすでに大陸に付加し大地をつくっていた頃にできたものだ。
 貫入岩の岩場を登るといつの間にかまわりは緑色岩やチャートばかりとなる。緑色岩はもとは黒い玄武岩が変成して、緑色の鉱物ができたために緑っぽくなった岩石で、鉄分を多く含むものは赤っぽい。悪沢岳の山頂付近は、この緑色岩の巨岩が広い範囲に累々と重なっている。チャート・緑色岩の帯は南北方向に伸び、北へは西小石をへて塩見岳へ続いている。南へは富士見平の南側の緑色岩に続いている。
  悪沢岳の北東側には南アルプスを代表する万ノ助カールがある。このカールは規模が大きく、カール底の緑色岩には氷河が削った跡(擦痕)がみつかっている。
 
▲登山道沿いのカラフルな岩

■千枚岳からの下り 

 千枚小屋からは樹林帯の長い下りとなる。ときどき薄い緑色岩を挟んでいるが、ほとんどスレートと砂岩の単調な岩相が続く。途中に明治時代の伐採地をとおるが、コケに覆われた古い切り株がそのことを示すのみで、看板がなければ見逃してしまいそうなほどみごとに樹林帯として復元している。小石下で東海フォレストの専用林道を横切ると、山腹を巻いて奥西河内沢におりてから東俣林道にでる。
 
▲線状凹地にできた駒鳥池