竹内敏信は大学生時代に写真の先輩たちから教えられた「ドキュメンタリーこそ写真の命」という言葉を信じ、土門拳流のリアリズム写真に陶酔していた。1972年には伊勢湾一帯の海の汚染をテーマに、初の個展「汚染海域」を東京のニコンサロンで開催している。そして勤めていた愛知県庁を退職してプロ写真家としての道に入った。
その後、奥三河地方に伝わる民俗芸能「花祭」に興味をおぼえて通い、自らが踊り手になったつもりで13年間撮り続け2冊の本を出版している。それと同時に北海道から沖縄まで日本の野生馬の現状を取材し、その生きる原野に日本の原風景を見いだし、日本の風景に魅力を持つようになる。ドキュメント畑で育った竹内は、その「日本の原風景」を捉える手段として連写性に優れた35ミリ判カメラを駆使した。そして旧来の大、中判カメラで撮影していた風景写真界に新風をもたらすと同時に写真集『天地聲聞』を発表した。
以来、竹内は次々に風景写真の傑作を発表していく。彼の作品には活動する地球の鼓動が伝わってくる。単なる美しさだけではない、生きている自然のきびしさも再現されており、風景写真に新機軸を出していく。その魅力に引かれ、沢山のアマチュア写真家が風景写真を撮るようになり、写真界に風景写真のブームをもたらした。その推進役の一人が竹内敏信である。そして日本全国で日本の原風景を撮り続け、2003年には日本列島の風景をまとめた『天地(あめつち)』を、2006年には、日本人のこころの風景ともいえる「一本櫻百本』を写真集にまとめている。
これら竹内敏信が取り続けてきた「日本の原風景」「日本人のこころの風景」に対し藤本四八賞を贈ることに決定した。
選考委員 田沼武能
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