受賞作品小論文
ある高等学校が舞台である。 女子教育にずっと専念していた学校だった。 平成17年3月にひっそりと幕を閉じた。 その学び舎の中では、生徒たちが落ち着いた生活をしていた。現在ある多くの教育現場とは、やや違ったものがあった。 春になると新入生を迎え入れ、それぞれ教員も緊張しながら、共同の生活が始まった。 同じ階のフロアを、3年生を中心としたクラス配置での生活が始まった。 そうすることにより、1年生が早く学校生活に慣れるようにとの配慮だった。また、見習ってもらえるだけの上級生の生活態度であった。それが裏目に出ることは皆無に近く、3学年による生活が行われていた。 掃除は、日に3回行われていた。朝掃除、昼掃除、放課後の掃除。放課後の掃除は着替えて行った。教育の場にふさわしいきれいな学び舎だった。 埃のない、黒板がきれいな教室だった。教卓にはおしぼりが用意されていた。 その中で、家政科を学んでいる生徒たちだった。実技教科を中心して、技術・知識を身につけ、母として社会人として活躍の基盤を育てる所だった。 毎年、沢山の卒業生を送り出してきた。大変な世の中を生き抜いている卒業生たち。その卒業生たちの母校は、今はない。教職員も今はいない。 自由、自由と個性の尊重を謳いあげ、ゆとり教育の重視、学力の向上、授業時間の確保など沢山の矛盾するものを追い求める現在の教育現場では、分かりづらいかもしれない。 終焉した、この学校の生徒をもう一度見つめ直すことで、これからの私自身の生き方や学校のあり方を考えてみたいと思った。 全てが良かったなどとは決して思わないが、大切な学校教育の基礎基本がそこにはあったのではないかと思う。 生徒や保護者の同意がなければ教育は成り立たないが、それを偏重してしまうと、一貫した教育は成り立たないと思った。 あの生徒たちに、もっと社会に触れさす機会を沢山作ってあげられたらと思った。もっと学習をさせられたらと思った。もっともっと自分に自信を持たせられたらと思った。 その現場にいた一教員が、言うのもおかしいがあえて伝えたい。 真面目な生徒たちであった。 立派だった。 卒業後、少しでも幸多い生活を送っていることを願いたい。厳しいと言っていた生徒が、もっと厳しい社会に出て頑張っていてくれていればと思う。道を誤らずに、騙されずに、うまくでなくていい、しっかりと生活をしていって欲しい。 これらのものを思い出として、大切に傍らに置いていこう。
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