第4回[公募の部・一般 奨励賞]
「じいちゃんの田んぼ-讃岐 高松-」寒川真由美
 

受賞作品小論文

 朝、四時半、水の入った田で父が代かきを始めた。「トントントン……」とトラクターあ静かに進み、水と土が混じってゆく。やがて、東の空が赤く染まり始めた。 
 私は、出産を直後に控え、実家の窓から父の仕事を見ていた。トラクターのエンジンの音は胎動のようでもあり、水田を渡る風が心地よい。
 やがて、朝日が強烈な光を放って地平線に現れた。と、空から白いアマサギが幾羽も舞い降りてくるではないか。父のトラクターからわずかの距離に降り、こわがりもせず泥の中から何かをついばんでいる。それはまるで絵のような光景だった。自然の中で人と動物は共存している。長い間、田植を見たり手伝って来たのに、こんな営みがあったなんて気がつかなかった……その驚き。次第に誕生の波を感じながら、一日の家族の無事を祈った。
 それから、しばらくして赤ちゃんが生まれた。産みの苦しみといっしょに出て来たかわいい同志に泣いたり笑ったりする日々が始まる。そして、睡眠不足でくたくたになっては、父母のもとでぐっすり眠らせてもらった。子供には、今まで培ったものを全部伝えたいと張り切った。
 しかし、初めて子供を連れてベビーカーで散歩した時に、環境の変化を肌で感じてがく然とした。川はもう澄んでいないし、藻も魚もいなかった。道路はアスファルトで固められ、車が飛ばしていた。子供が幼児になると、子供だけで群れて遊べる場所がなくなっている。私達は、「残さず食べようね」と声かけしながら、様々な有害食品から身を守る方法を教えなくてはならない。あるはずだと思った美しい自然も、伝統も、安らぎも失われかけた大変な時代になっていった。そして、農村は減反と後継者不足にあえいでいる。これは、私達が妥協に妥協を重ねた結果だった。「ごめんね。父ちゃんや母ちゃんが私に伝えてくれたことの半分も愛(あい)や優(ゆう)にやれない……。」子育てにこんな思いがつきまとう。せめて、私の子供にはおひさまと泥と水と風、ゆったり流れる時間を返してやりたいと思った。
 幸い、今住んでいる家は、夫の実家のすぐ側だ。あたりは市街化調整区域でまだ田が多い。あぜ道でタンポポもつめるし、夏はカエルの声を子守唄に眠ることができる。教員を退職した夫の両親は、少し畑を作っているから、そこでいっしょに芋ほりや野菜作りを手伝わせてもらおう。なつかしいおかずを教えてもらおう。そして、農業をしている私の実家も近い……。私は、あせるような気持ちで子供達に親達の暮らしを見せたり、一緒に作業を始めた。風呂たき、麦まき、麦ふみ。田植、稲刈り、お祭り、おもちつき。シソや夏みかんでジュースを作ったり、麦茶を煎ったり、みそやうどんを作ったり……。子供達は活き活きととびこんでいった。これで、暗くなるまで群れて遊んでくれたら、私の子供時代と近くなるなあ。私は、幼い頃の自分の姿を確かめたくて、こんな場所に立ち会っているのかもしれなかった。 
 そして、稲や麦の様子を見回りに出る父の後を何となくついて歩いていくうちに、「足音で育つ」ということが、ほんの少しわかるような気がして来た。父には、天候も、作物が何を欲しているのかもわかるようだった。作物は、声を聞き世話をしてやると、まるでそれに応えるように実ってくれる。隣の覚衛(かくえい)おじさんもそうだった。もう亡くなってしまったけれど、今でのあぜ道を歩いていると、ひょいと向こうから現れそうな気がしたりする。秋の朝、突然咲くまんじゅしゃげは、農民の一揆の声を聞いただろうか。また、辛いことがあった時は、ひたひたと冷たく、やわらかい土の感触がよみがえった。稲刈りの後家族で落ち穂拾いをしたなあ。夕暮れはもう肌寒かったが、この稲みたいに、私の根っこも生えていたのかもしれない。
 ある年、まつりの「陶屋」(とうや)を実家が受けることになった。集落四十一件を束ねる役で、神様を迎えるための準備は、数週間も要した。その間、たくさんの人の出入りで実家はにぎわった。久し振りに会うなつかしい人々の中にいるうちに、私はついこの間まで自分が子供で、この人達に見守られて育ったのだとはっきりわかった。苦しい農作業では声をかけ、助け合い、祭りでは収穫を喜び合った仲間だった。そこに、細いけれどまだ残っている協同の歴史があるのだと思えて来た。
 ため池のまわりに稲田が広がり、家々が続く……この風景は、人々が営々と努力を積み重ねてできた、かけがえのない景色だった。 
 丹精こめて作物を作る。信心深い人々の住むわたしのふるさと。それを、次の世代の子供達にもつなげてゆく一員になれたらと願っている。

 
 

「朝、四時半、水の入った田で父が代かきを始めた。「トントントン…」とトラクターが静かに進み、水と土が混じってゆく。やがて東の空が赤く染まり始めた。」

寒川真由美さんの小論文は、こんな書き出しで始まっている。出産のため実家に、戻った作者が久しぶりに見た父の農作業の風景に、子ども時代の事を思い起こす。

そして生まれてきたわが子を連れ、再び帰省してみる故郷の変貌ぶりに嘆く。子どもが群れて遊ぶ場所もない。農家には後継者もいない。米は減反と最悪の環境になったことを痛感する。

そんな時代になってしまったが、主人の両親が定年退職後、わずかばかりの農耕を始める。そして子どもたちに両親の農作業の手伝いをさせて、さまざまな体験をさせながら、子育てをする家族をドキュメントし、フォトストーリーにまとめている。

作者は毎年、夏になると古巣に来て、子を生み、南の国に帰っていくツバメを自分の姿に重ねあわせ、プロローグとしているアイデアはすごい。そして子どもたちに農村の暮らしを体験させ、自然とのふれあいを学ばせる。そこには農村のしきたり、祭りごと、作物への愛着等が父から子へ、そしてその孫に伝えてゆく光景が自然な姿で写し出しており、モノクロームの技術を生かしてドラマに仕上げている。しかし、物語を広すぎたため、主役である「じいちゃん」の表現が弱くなってしまったことが残念である。

選考委員 田沼武能