第2回[公募の部・一般 写真文化賞]
「遠(おん)の情景」南島孝
 
 受賞作品小論文


私が二・三歳の頃、母の実家が豊橋市郊外の海の見えるう丘陵地へ一家で開拓に移り住んだ。母の兄弟は多く、双子の兄妹に「竹男」と「梅子」と名付けるほどに賑やかで、今考えてみればひとりひとりの存在感などあったのか…と思わせるほどだった。ちなみにそのおじいさんの名前は徳松。親子で松竹梅。ずっと年が離れて、下二人の兄妹はその時まだ高校生で勝久と春江といい、どちらも豊橋では新学校で有名な「ジシュウカン」という高校に通っていると母に聞かされた。牛小屋の上に小さな勉強小屋を作り、電気を引いて勉強していたのだそうだ。

天竜川の淵に沿った飯田線は飯田から豊橋まで当時五時間、準急とは名ばかりの単線のゆっくりした旅で、私と妹と母の毎年の夏休みの慣例になっていた。百八のトンネルとそれより多い鉄橋は、母からそれたの話を聞かされるのに十分な時間を与えてくれた。母の懐にはおじいちゃんとおばあちゃん、そして末の二人の学費のために、数万円の大金が入っていたらしい。だから余計にその二人の事を自慢したかったようだ。開拓地は一面スイカ畑、いろんな悪戯をして腹いっぱいスイカを食べて二・三日を過ごした。帰りの飯田線は決まって駅の看板のひらがなを妹と読みあった。母は駅の売店で買った小さなお酒と豊橋ちくわですっかり眠りこけていた。天竜川は蛇行をして少しずつ上る。何ケ所もダムがあり、深い緑の湖のようになったり、はるか下に白い流れを見せたりした。

同じ旅をしようと思った。同じように天竜川沿いの窓の席に座った。あの背中の硬い板の感触はもう無かった。チョコレート色の電車でもなく、乗客に行商のおばさんもいない。JR東海に変わった駅の看板は「なかいざむらい」のひらがなをはっきり見せ、「ざ」とにごる妹の読みが正しかったことを知った。その次の駅で電車を降りた。そこは三重県、四方から山が迫り、天竜川の流れは止まり沈んで佐久間ダムに向かう。手ぬぐいを被ったおばさんが「こんにちは」と声をかけてくれた。その発音とその人の腰つきに懐かしさを覚え、ゆっくり後に従った。こせこせと足早に歩く。橋を渡り道が急傾斜になったあとも全くさっきと同じ速さで足が運ぶ。高く通る道に上がりきる前に、そのおばさんは消えていた。大きな柿の木があって、その下に銀色のトタン拭きの家がある。雨戸は一本は僅かに開いていてあとは閉じられている。日は山に落ち辺りは冬の青い影に沈んでいた。なぜここまできたのだろう。何を追ってきたのだろう。眼下には天竜川が鈍く白さを失いかけて流れていた。祭の旗をおさえるアルミの輪が遠くでカラカラと響いている。

私が中学の頃に、竹男おじさんが事故で亡くなった。その後徳松じいさんが逝った。梅が残り今に至っている。あれだけいた兄弟も姉妹も散り散りに独立して、もちろんもういない。あの銀色のトタンの家と同じように、昼間もサッシの雨戸が閉じたきりになっている。一面に広がっていたスイカ畑は豊橋技術大に変わっている。時の流れの中に空虚な移ろいを見ている。家族の中に一つの秩序があり、収束された夢があり、明日が読める有餉があった。満ち足りない生活の中にも満ち足りた心があった。

密集しながらも殺風景な都会、転がったバケツが、あるいは干されたタオルが長い時間変化を見せない過疎の地、そのどちらにも寒い風が吹き降りてくる。コンクリート地面の足跡よりも、私にはバケツやタオルがそのままにある理由の法が気にかかる。人の気持ちが凍りついている。絶望や切なさと背中合わせだからこそ確かめられる幸せが…凍っている。

日本独特の叙情的な文化を作り上げてきた背景には、弱きものも痛みと哀しみがあった。いつのまにか、強さが正しいことと錯覚し、弱いもの 傷ついたものを自分の中に受け入れ守り抜こうとする気持ちが薄れてきた。この時代に声高に環境保護を叫ぶより、本当のやさしさを知るべきだろう。笑顔のじいさんが丹精こめたバラをもつ手、はにかんだ婆さんの座る陽だまりの縁側、そのやさしさの空気感の存在に気がついたときにふとこちらも微笑んでいる。

日本の原風景とは単一の農耕民族が生きていくために定住した場所の景である。その場所を捨てきれないがためによる多くの哀しみの日々と僅かな喜びの日々から土着の宗教とか文化が生まれて継承されてきた。風景は歴史の結果である。できうればファインダーの中の風景に人の心の痛みが見えますように。

これを書き終えたとき、妻の母の元気だったころの詩吟を詠む高い透明な節を聞いた。耳で聞いたのではなく頭の中の波長が共鳴した。ずっとお元気でいてください。

 
 選評

作者は幼年期、少年期のさまざまな体験の記憶をもとに、その心像風景を現在の風景におきかえ画像化した作品である。小論文には日本の原風景、移りゆく日本の心を見つめ、生活環境に言及し、時の流れ、空虚な移ろい、そして現代人が忘れてしまった弱きものへのいたわり、やさしさについて綴っている。

氏は写真については卓越した技量の持ち主である。それは前回奨励賞を受けていることでも証明されよう。山間の風景、そしてそこに暮らす人々を淡々と写しており、その中に農夫や子ども達の明るい笑顔、ヤギのクローズアップなど、旅人南島孝氏の感性が存分に盛り込まれている。昼寝をする父子に生活を感じ、川面に映る灯籠の先に、うすれゆく伝統文化のわびしさが写し出されている。

南島氏の作品は、音楽にたとえるとオーケストラのような派手なものではなく、弦楽四重奏ではないかと思う。静かな情景の中にある時はゆっくりとしたアダージョで時が流れ、ある時はテンポの速いアレグロで観る人の心に迫る。小論文といい作品といい、文化賞に値するものである。

選考委員 田沼武能