「青花葡萄棚文水指」  明代末期(17世紀前半) 景徳鎮民窯 通蓋高21.2 口径13.6p 胴径18.8p
 隆盛を極めた明代の青花は、天啓年間(1621〜1627)に入るとにその主体が完全に景徳鎮民窯に移行する。この時期、日本からの注文を受け古染付と呼ばれる粗野な作風の青花が生産された。これらは、虫食いと呼ばれる生来の欠けや意図的な造型の歪みが加えられ、絵付も奔放さを増して素朴な味わいを具えるようになる。
 本作品は、ユニークな葡萄文を施した水指で、口部や底部の縁に虫食いのある素朴な風情を示している。水指は、日本の茶の湯で用いられる独特の道具であり、このような茶器の類は、もとより日本輸出向けに焼かれたもので、ほとんど日本にしか伝来していない。その粗放な作風も日本の茶人の美意識を反映したものといえる。