第二話  鳴門勝景を追って  −鍋島・裸島編−
大鳴門橋の橋桁となった裸島

 
 鳴門勝景を巡る調査(第一話参照)は、鳴門の今昔を巡る旅でもあった。半島部や岬の突端部に近いエリアには、鈴木芙蓉が描いたそのままに近い面影が残されていて、ノスタルジックな感慨を味わうことができた。第一話で触れた阿波井神社をはじめ、寸分違わぬ姿が残る夫婦岩や半島の突端の寺院が変わらずに座す北泊などは、芙蓉と時を隔てて同一体験をしたような感覚すらあった。
 これに対して市街地に近いエリアは、今昔を実感させる風情である。寺泊の港などは造船ドックが横たわり、海岸線もコンクリートで造作されて全くの別風景となっていた。さらに驚いたのは、鍋島という小島の現況であった。事前の地図上の探索では、この島の名前を発見できないでいたのだが、調査中にふらっと立ち寄った鳴門城の鳥居記念博物館の館長さんにお尋ねしたところ、今は小鳴門橋の橋脚になっている島が鍋島であるとのことであった。
 その場所は、大毛島と四国本島とを分けるごく狭い海峡部にあった。そこは大塚化学の工場や競艇場が建つ港湾地域で、海というよりは河口近くの川といった趣である。防波堤の突端へ出て、鍋島を眺めることのできる場所へ出てみると、確かに道路橋の橋桁になっている小さな島があった。いまや橋脚の陰に隠れて一見してでは島の存在にすら気づかないほどである。この場所が鳴門勝景に加わっていたことなど忘れ去られようとしているのだろう。現に我々もつい今しがた鍋島の上に懸かる橋を車で抜けてきたばかりであった。
 実は、芙蓉が描きながら、今は橋脚となっている島がもうひとつある。大鳴門橋の橋桁となっている裸島である。鳴門第一の名所、渦潮が発生する鳴門海峡に位置する裸島は、芙蓉の「鳴門十二勝真景図」の中でも重要ポイントとして位置づけられ、二図の景観に描かれる他、芙蓉自身が島に渡りここからの景観も二図描いている。この島については、地図でのシュミレーションの段階で、すでに橋脚になっていることは分かっていたが、その状況を見るため島を望める鳴門公園へと向かった。
 鳴門公園は、大鳴門橋のほぼたもと近くにある。鳴門海峡に面する景勝の地で、現在は海峡に懸かる堂々たる橋を間近に実感できる場所でもある。展望台に出て眼下に目を落とせば、直下に芙蓉が「鳴門中流」として描いた急流が轟音を立てていた。芙蓉の絵では、海ではありながら川のような急流が描かれ、誇張表現がなされいるものと考えていたが、それはとんだ勝手な誤解で、実際も海でありながら豪雨の後の川のごとく激流が逆巻いていた。
 その対岸に視線を移すと、頑強そうな橋桁が土台にしている島があった。裸島である。かつては渦潮とともに景勝の一部となっていたはずの島であるが、いまは見る影もなく大鳴門橋の一部となってしまっている。時の流れは名勝の景観をも近代的な趣に変えてしまっていたのだ。
 橋の開通により、徳島への交通の便が格段にアップし、再び鳴門の地が観光地として復権したのでもあるから、この現象を負の遺産と簡単に片づけるのは大人気ないし、大鳴門橋の懸かる海も、現代を代表する美しい景観だと思う。しかし、目の前に展開する芙蓉の時代とは変わり果てた景観に、多少の感慨は抱かざるを得ない。裸島前方の急流に一隻の小舟が棹をさしている。芙蓉もこの激流を越えて裸島に降り立ったのであろう。今は島の上の高速道路をわずか数秒で自動車は通り越していく。 (槇村)