鈴木芙蓉 「墨梅図」  文化13年(1816) 絹本墨画 92.7×34.6p 軸装一幅
 芙蓉にとって「梅」は、他の花鳥画や四君子とは異なる意味を持っていた。例えば寛政4年(1792)正月の文晁等が催した書画会では、芙蓉は梅の図を描いており、また享和1年(1800)に柴野栗山邸で催された頼春水等の送別の宴では、大画の梅花を描いている。さらに皆川淇園や大窪詩佛は、芙蓉の梅に対する詩文を贈ってもいる。芙蓉は、当時において梅の名手として知られた画人であった。代表作として知られる紅白梅の銀地屏風は、その逸品といえるだろう。
 本図は、紅白梅とは趣が異なり、最晩年に描かれた水墨の梅図である。芙蓉は、この画のわずか一ヶ月後にこの世を去るわけであるが、覇気のある枝振りと爛漫な花の描写に、老境にありながら旺盛な作画精神を感じさせる。
  中国明代の文人画家董其昌に因んでか画室を「画禅窟」と称し、雪舟に傾倒した晩年の画道は、やはり禅の精神を見据えた自らを高める旅程であったのかも知れない。