岸竹堂 「新柳白鷺図」  絹本淡彩 131.1×50.8 軸装一幅
 岸竹堂(1826〜1897)は、京都画壇の幕末・維新を生き、その近代化の基盤を築いた人物のひとりである。最初、京狩野九代目狩野永岳に入門するが、粉本主義の狩野派の指導法に疑問を感じ、転じて岸派の岸連山の門をたたいた。幕末の混乱期には絵師としての生活が成り立たず困窮の時期を過ごしたが、明治に入ると新たに設置された京都府画学校に教員として出仕、また内国絵画共進会、内国勧業博覧会などに出品し、各展覧会の審査員になるなど京都画壇の指導的画家として活躍した。
 本図は師弟の岸勝の箱書きによると、竹堂が岸派に入門する前、23、4歳の頃の作品と伝えている。その作風はすでに狩野派を離れ、芦雪に私淑して新機軸を打出すなど意欲的であった竹堂の個性が現れている。