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恒川遺跡群


● 所在地  飯田市座光寺

● 調 査  昭和51〜57年、国道153号座光寺バイパスに先立ち飯田市教育委員会により実施

          昭和58年〜平成14年まで、飯田市教育委員会に範囲確認調査を継続実施

● 内 容  恒川遺跡群は、飯田市座光寺の低位段丘面に立地する縄文時代以降の複合遺跡で、各

        時代とも良好な資料が出土した。古代は竪穴住居址・掘立柱建物址・溝址等が調査され、

        県宝「和同開珎銀銭」をはじめ、円面硯・二彩陶器・緑釉陶器・瓦・墨書土器等の遺物が出

        土し、古代伊那郡衙址に位置づけられる。正倉域は確定したが、正庁域は未確認である。

● 遺物の所在 飯田市考古資料館・飯田市美術博物館

● 文 献  飯田市教育委員会1986『恒川遺跡群』

                     飯田市教育委員会1988『恒川遺跡 田中・倉垣外地籍』

                      飯田市教育委員会1991『恒川遺跡 田中・倉垣外地籍』

                      飯田市教育委員会1991『恒川遺跡群 新屋敷遺跡』

                      飯田市教育委員会1998『恒川遺跡群 新屋敷遺跡』

        飯田市教育委員会2003『恒川遺跡群(田中・倉垣外地籍) 

        飯田市教育委員会2003『恒川遺跡群(新屋敷・薬師垣外・阿弥陀垣外地籍)−遺構編−』


恒川遺跡群遠景

和同開珎銀銭と墨書土器「厨」