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井上博道は日本海に面した但馬の禅寺で生まれ育った。父は禅僧である。京都の龍谷大学で仏教史学を学び、在学中から司馬遼太郎と親交を持つ。卒業後、大阪の産経新聞社に入社し、産経新聞の文化部長であった司馬氏の影響を強く受ける。紙面で「美の脇役」の連載を始めるにあたり、司馬氏の連載写真に専従することになる。私(司馬)の考えたことを、自らの感性で発見し、美の分野として再現できる写真家は井上博道しかいない、と司馬氏は絶賛している。そして写真を撮るだけではなく、私がなすべきことの九割以上を井上博道がやってくれたと、司馬氏は「隠れた仏たち」というエッセイに書いている。その後「美の脇役」は出版され井上の代表作のひとつになっている。11年いた新聞社を辞して独立する。それからは、日本の文化を基調とした日本人の心の表現に力をそそいでいく。種田山頭火の足跡を追い、また万葉風景との対話を写真に写し撮っている。

「仏教を撮っても、遠い過去の仏師がかれによって再誕し、刻んだときの心まで映し出している」と司馬遼太郎は賛辞を送っている。そして社寺建築においても、日本の美を撮影者の眼で独自の表現をしており、その作品群は高く評価されている。

平成20年、それら半世紀をかけて撮影してきた作品群の中から平城遷都1300年記念にふさわしい作品を選び東京の上野の森美術館において「井上博道の眼」展覧会を開催した。そこには、「美の脇役」から「隠れた仏たち」「東大寺」「万葉集」「山頭火」など、井上博道の全仕事ともいうべき作品が展示され、平城遷都1300年記にふさわしい大展覧会であった。好評を得、展覧会は後に大阪の近鉄デパートにおいても開催され、多数の観客を集めている。井上博道の日本の美、日本の文化に対する鋭い観察力と表現力により写し出された作品群は、数々の写真集として発表しており、藤本四八写真文化賞を贈るにふさわしい写真家であり、よって今回は井上博道に決定した。

選考委員 田沼武能

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