人間を見るまなざしは、写真家それぞれによって異なり、一つとして同じものはない。撮る対象や人物は同じであっても、写真家の心もまた、それらの写真に写し出されるからである。
小松健一氏の今回の受賞作は、そこに住む人々は活写されているだけでなく、小松氏の写真家としての心も投射されていて、写真の表現力を存分に活かしている。幻の王国といわれたムスタンの存在を小松氏が知ったのは、1990年のことで、ヒマラヤのネパール、ドルパ地方に2ヶ月の旅をしたときのことだった。世界でも珍しいこの国での撮影を夢に抱き、チャンスを探し求めた。幸いに2年後の1992年にテレビ局の広報用写真を提供することで取材班とともにムスタン王国に入ることがかなえられた。王国ロー・マンタンは約600年も前に建てられた城壁と城郭の中に、175家族が住むという。ここで人々は、ヤク、馬、牛、山羊などの数千頭の家畜とともに暮らす。ここで小松氏はテント生活をしながら撮影に汗した。
4000メートルの高地、電気もガスもない。砂塵と烈風で気管支をいため、軽い高山病にかかったりする。しかしやっと念願かなっての撮影である。一度描いた自分の夢は、困難がいくら立ちはだかっても実現するのが写真家である。ムスタンの人々は、服は汚れて黒ずみ、一見すると不潔と思ってしまう。砂ぼこりや油、?を洗わずにそのままにしている。しかし、実はそれは、過酷な自然環境から身を守る手段なのだと、共に生活するうちに分かってくる。
そしてなにより、過酷な自然と向き合いながら、人々は皆優しさを身につけている。互いが互いを思い合う優しさがなければ、生きていけないからだ。この事実を発見し、また教えられて、小松氏は胸が熱くなったという。
この地域には鳥葬が行われている。水葬もある。この場合、遺体を切って天へおくる。残酷な印象を受けてしまうが、これは鳥や魚が食べやすくするためなのだ。この生き物をまた、別の生き物が食べる。鳥葬でハゲワシが食べて空を高く舞えば、人間は西方浄土に無事に行きつく。輪廻転生の世界がここにある。その現実と精神を知って、涙したという。父がガンと闘う最中に旅に出たため、日本の家族のことを思わずにはいられなかったのだ。
彼は万一に備えてたくさんの薬を用意していた。火傷が化膿して苦しむ2才の子どもを持参の薬で助けた。これをきっかけに一日に40人を超える人が治療を求めて彼のテントを訪れるようになり、王様の肩こりの治療を頼まれるほど評判が高まる。もちろん小松氏は医師でもマッサージ師でもないが、村の人々との交流はこうして深まっていった。半年近くは厳冬というこの地で、大麦や蕎麦を育て、家畜を飼う。そして人間性に満ちた日々の暮らし。自分自身が励まされたと写真集に書いているように、人間の心の原点を考えながら写真を撮っている。
その作品群はけして派手なものではない。しかし、冒頭に書いたように、人間を見るまなざしが、感動を呼ぶ。「人間とはなにか」「人間のすばらしさ」を活写した作品といえよう。
選考委員 田沼武能