菊

晩年における春草は、それまで続けられていた色彩への関心がさらに高まり、作品も微妙な濃淡による賦彩から、〈猫に烏〉や〈早春〉などにみられるような濃彩を主体にしたものへと変容してゆく。そして金地の背景による作品も描かれ、琳派 […]

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蓬莱山(双幅)

蓬莱山(双幅)

蓬莱山とは中国の伝説上の神山である。渤海のはるか東方にあって、玉や金銀の宮殿が建ち、飛天や仙人が住まう霊地であるとされている。古来より神仙思想、あるいは吉祥の画題として用いられ、海上の山容に松竹梅や鶴亀が添えられ、楼閣や […]

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布袋之図

布袋之図

「布袋」は中国・古代の後梁時代の高僧で、名を契此、号を定應大師という人物である。明州奉化県の岳林寺に名籍をもったが、杖と布の袋とをたずさえて各地を放浪した。そして人々が施す供物を全てその袋に貯えたことから「布袋」と称され […]

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春秋(双幅)

春秋(双幅)

明治41年、春草は眼疾を煩い、制作の中断を余儀なくされている。これは画家にとって致命傷ともいえる病気であったが、しかし幸いなことに同年の末には回復し、再び制作活動を行うことができるようになった。 そして明治42年、春草は […]

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高士訪友図

高士訪友図

驢馬に乗る高士が、深山の楼閣にすむ友人を訪ねようとする場面を、墨色のみで描いた作品である。画面は山の稜線によって大きく三つに分割されており、山の深さや複雑さが感じられる。また目的地であろう楼閣も山のかげから姿を見せており […]

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帰樵

帰樵

米欧から帰国後の明治38年、春草は大観と連名で『絵画について』という論文を発表している。この中で彼らは「色は刺激にして、専ら直覚に訴ふるものに候へば、彩画は忘我の快感を与ふるの最捷径と存候。…自ら絵画の絵画たるべき本領は […]

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花あやめ

花あやめ

没骨を中心とした筆法で、みずみずしいあやめの姿を描く。賦彩は淡くて繊細なものとされ、殊に花弁は薄さや柔らかさといった質感が巧みに表現されている。また消え入りそうなほどに薄く描かれた葉や茎は、薄く施された背景の色彩と調和し […]

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夕の森

夕の森

明治37年2月、春草は岡倉天心・横山大観らと共に米国へ遊学する。そして同地で西洋の美術の実際を肌で体験しつつ、また5度にわたって展覧会も開催した。そして日本での悪評とはうってかわり、米国では高い評価で受け入れられている。 […]

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