飯田・下伊那の文化財検索
天龍峡
テンリュウキョウ
指定区分 
名勝

指定年月 
1934・1

員  数 

制作年代 

所在地名 
飯田市川路・龍江

所有者名 
飯田市


 天竜川によって浸食された100?余におよぶ峡谷の中心的な美観。「天竜峡」の名は弘化4年(1847)、備中国岡山の儒学者阪谷朗廬(さかたにろうろ)が岩を砕く激流と高い断崖・岩壁の景観を賞して命名。以来多くの名士が訪れている。
 明治時代の書道家日下部鳴鶴(くさかべめいかく)が奇岩を中心に「龍角峰」以下十勝を選定した。昭和26年県立公園に、昭和44年天竜奥三河国定公園に指定された。

データ番号【キ−01】 索引【キ】

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参考文献/『伊那谷の文化財 - 飯田下伊那の特質を探る -』飯田市美術博物館発行