間口8間、奥行四間の木造2階建、入母屋造・瓦葺の人形芝居専用の舞台。1階は舟底と本舞台、さらに奥の舞台からなり、一の手摺・二の手摺(てすり)・奥の手摺が設けられている。奥の手摺上に第一背景、背後の板戸に第二背景を取り付けできるが、さらに背後の板戸をはずして背後の森を借景とすることも可能である。大夫座は上手・下手の両方にある。2階は楽屋となり、背景を吊り下ろす仕組みとなっている。もう一つ大きな特徴は、屋根裏の梁組みが亀甲梁の方式を採用していることである。亀甲梁は江戸時代後期に歌舞伎舞台に普及した梁形式の一つで、前面の邪魔な柱を除くために梃子の原理を応用して長大な桁を跳ね上げるようになっている。
これを建造した棟梁は、桜町2丁目の和泉屋善兵衛であるが、これほど本格的な舞台の設計には、天保3年(1832)に大坂から来て黒田に住み着いた人形遣い桐竹門三郎や吉田亀造が関わったと推測される。
全国的にみても、人形舞台特有の舞台機構を完備した、もっとも大きく古い舞台として貴重である。