下伊那郡阿南町新野の中心地にある市神の祠とその上に設置された踊り屋台を中心に、長い大きな輪を作って踊り明かす。踊りは太鼓など楽器がなく、音頭取りの唄にあわせた手踊りに特徴がある。その種類は「すくいさ」「おさま甚句」・「高い山」「十六」「音頭」「おやま」があり、これを連夜踊り続けるのである。
16日には新盆宅から持ち寄られた切子灯籠が踊り屋台に吊され、17日未明の踊り神送りでは、それを担ぐ行列の行く手をふさぐかのように「能登」を踊る大小さまざまな輪ができ、一種攻防のさまとなる。行列がジョウドに到着すると切子灯籠を積み上げて御嶽行者が道切の式をし、空鉄砲を合図に焼却する。村人は「秋唄」を唄いながら後ろを振り向かずに家路につく。
大正15年(1926)、これを見学した柳田国男は、「仏法以前からの亡霊祭却の古式がある」(『信州随筆』)と高く評価した。なお、新野でも14・15日は新盆宅を踊り歩き、16日には寺で踊ったという。