13日は熊野社から行列を組んで、村の開祖「大屋」(宮下家)を経て林松寺へ踊り込む。念仏踊は庭入り・念仏・和讃からなり、庭入りでは太鼓・ヒッチキ・ヤッコが跳びはねる。14・15日は林松寺のみで盆踊と新仏の念仏供養をおこない、16日は13日と逆の順序となる。
和合でも大正時代まで新仏の家を踊り歩いたと伝えられるが、現在は14日に新盆の家が寺で一緒に念仏供養をする形となっている。和讃には新仏に応じて、「野辺の送り」(天寿を全うした人)・「釘抜き」(若くして亡くなった人)・「血の池」(子供を産んで亡くなった人)などがある。 なお、和合の盆は昭和61年まで7月であった。