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 ■■■地形・地質観察ガイド-高山・主稜線地域-■■■
 塩見岳 鳥倉林道〜三伏峠〜塩見岳
 
 塩見岳(3052m)は南アルプスの中心部に位置していながら、北部の白根三山と、南部の荒川−赤石山塊の影に隠れて目立たない山だった。しかし、鳥倉林道ができてアクセスがしやすくなり、さらに百名山ブームもあって近年ではたいへん人気のある山である。周辺に並ぶような高い山がないことと、独特のピラミダル峰であることから山頂からの眺めはすばらしい。名前の由来に近くの山から塩が取れること、山頂から海がみえること、の二説があるが、空気が澄んでいるときには実際に駿河湾がみえることから、海がみえることに軍配を上げたい。三方向に尾根を張り出していて、どこからでも登ることができるが、ここでは一番登りやすい鳥倉林道から三伏峠を経て、山頂へ至るルートを紹介しよう。

■鳥倉林道のゲートから登山口まで

■秩父帯と四万十帯の境界、仏像構造線

■日本一高い峠

■侵食がすすむ三伏峠のお花畑 

■三伏峠から塩見岳山頂まで 

■鹿塩の塩泉 

▲烏帽子ヶ岳からみた塩見岳
 


 

■鳥倉林道のゲートから登山口まで

 鳥倉林道が豊口山直下の1750m地点までのびたため三伏峠までの入山が容易になった。ゲートは登山口の手前約2km地点で、ここに車の駐車スペースがある。途中、夕立神の展望台があり、三伏峠から南の主稜線が見渡せるが、残念ながら塩見岳は豊口山から三伏峠への尾根に隠れてみえない。
 ゲートから先は、秩父帯のチャートと泥岩の急傾斜地となり、正面に豊口山西面の石灰岩の岩壁がそそり立っている。こんな急峻な場所に、林道を強引につけべきではないと思う。工事による自然破壊だけでなく、災害の素因を拡大している。
 尾根を越すと広場がでてくるが、ここが三伏峠への登山口である。広場には豊口山の石灰岩がごろごろしている。石灰岩はやや再結晶していて白っぽく、化石はみつかっていない。林道はさらに500mほどのびて次の尾根を回り込んでいる。
 
▲豊口山の石灰岩の岩壁

■秩父帯と四万十帯の境界、仏像構造線

 植林地の中をしばらく登って、トラバースしていくと尾根筋にでる。ここから西の尾根道をたどると豊口山へ行くことができる。三伏峠へは東へ尾根沿いを登る。この尾根筋では岩石の変化に注意してみよう。秩父帯のチャート・石灰岩・泥岩から急に砂岩にかわるところがある。ここが秩父帯と四万十帯を分ける仏像構造線で、中央構造線と平行してずっと九州までつづいている大断層だ。この仏像構造線は、塩川へ降りる登山道沿いでも、道に転がっている岩石の違いから場所を特定できる。四万十帯に入ると、砂岩を主体としてときどき泥岩をはさむような単調な岩相となる。この付近は、岩石の変形が強くて、チャートなどに入っている放散虫化石が扁平となっている。
 
▲塩見岳へ向かう尾根道

■日本一高い峠 

 仙丈ヶ岳、間ノ岳や塩見岳がチラチラみえるようになるともう三伏峠は近い。三伏峠は標高2600mもあり、地形図にのっている峠としては一番標高の高い峠である。峠と記されているものの、伊那谷から登る道しかなく、大井川上流中俣から登る道はまったく消え去っている。もともと明治の頃に、伊那谷と富士川谷を結ぶ街道としてつくられたが、保守管理がたいへんなため、ほとんど使われることなく廃道化してしまったらしい。その後、昭和30〜40年代の営林事業が盛んだった頃、中俣と小西俣との合流点(慣合)に事業小屋が建てられ、中俣には作業道や吊り橋がつけられていた。今では吊り橋の残骸や鉄砲堰の跡が残っている程度である。
 
▲日本一標高の高い三伏峠

■侵食がすすむ三伏峠のお花畑

 塩見岳へは左へ折れて、尾根道を登るのだが、烏帽子岳方面へ少し寄り道して、お花畑の地形を観察しよう。お花畑は稜線の鞍部から緩やかに北東へ傾く開いた谷地形にできている。ここは三伏沢の源流に位置していて、伊那谷側が百間ナギですっぱりと切られていることから風隙といえる。稜線鞍部に立つと、両サイドの地形が怖ろしく対照的で、静岡側を静とすれば伊那谷側は動、静岡側を天国とすれば伊那谷側は地獄のようだ。百間ナギは小河内沢の谷頭侵食で毎年のように崩壊し、天国のお花畑が年々縮小している。
 ところで、このお花畑は森林限界よりも低い位置にあって、本来ならば樹林帯となる標高である。お花畑が存立しているのは、樹林が育ちにくい環境要因が働いているからだ。このお花畑を調べた地形学者によると、この土地は小河内沢にそって吹いてきた風が収束する鞍部に位置しているので、風が非常に強いこと、さらに稜線の風下にあたるため、まわりよりも遅くまで残雪が残ること、の2つの点から森林が発達せずにお花畑になっているとしている。同じ様な理由でお花畑となっている場所に、聖平や熊ノ平などがある。
 三伏峠の風の強さについては、松島信幸氏から「昔、百間ナギの頭でロビンソン風力計で強風を測定してみたところ、瞬間風速50m/秒を越えて羽根が吹っ飛んでしまった」という興味深い話を聞いている。
 

 
▲侵食がすすむ三伏峠

■三伏峠から塩見岳山頂まで

  三伏峠から樹林に覆われた稜線をたどると、本谷山付近から形の良い塩見岳をみることができる。塩見岳の西斜面は、植生の垂直分布がきれいに帯状となっていて、塩見小屋付近からハイマツがしげる高山帯となる。
 塩見小屋付近から地形が険しくなり、ここを境に西側は四万十帯赤石層群の砂岩・泥岩、東側は四万十帯白根層群の泥岩・チャート・緑色岩となる。塩見小屋から東に岩が目立つようになるのは、風化・侵食に強い地質のせいである。チャート・緑色岩類は、塩見小屋付近から山頂を経て蝙蝠尾根の分岐手前まで分布している。この間だけがまわりの泥岩から突出していて、塩見岳の尖峰を形成している。特に天狗岩付近は赤色チャートと緑色岩がみごとだ。
 固いチャート・緑色岩類は、南北へと連続する。南へは塩見岳南尾根をつくり、中俣と小西俣の河床に露出し、さらに荒川北尾根に続いている。塩見岳南尾根からはじまる東池ノ沢の崩壊地は、双眼鏡でのぞくと、上部が緑色岩、下部が泥岩からなっているのが観察される。
 
▲山頂付近のチャート

■鹿塩の塩泉 

 塩見岳へ登る鹿塩−南沢ルートの途中に、鹿塩温泉がある。この温泉水はなめてみるとたいへん塩辛いことが特徴だ。
 西洋科学が本格的に入ってきた明治期、この塩の起源が岩塩であると信じて、掘削に一生を費やした人がいた。黒部銑次郎である。彼は明治のお雇い学者ゴットフリートの助言をえて、当時貴重な資源であった塩をもとめて穴を掘った。
 残念ながら岩塩はみつからなかったが、この高塩水から水分を蒸発させて実際に塩を採取する事業が一時期行われた。
 現在、その場に立っても岩塩を探した跡や製塩の様子を知るすべもないが、わずかに道路際の壁面に掘られた穴が黒部の掘った穴の一つといわれている。鹿塩市場には、山塩をテーマにした資料館がある。
 
▲塩を求めて掘った穴