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■摺古木山〜県民の森 | |||||
大平県民の森に自転車をデポしておき、摺古木山自然園の休憩舎まで車で上がって、摺古木山からアザミ岳を経由して県民の森まで歩いた。 摺古木山から木曽見茶屋へいたる登山道が昭和30年代に開かれたが、現在は廃道となってしまい、アザミ岳南方2km地点までは全く道はない。途中から大平県民の森方面へとつづく作業道があるが、これもかなりササに覆われている。 ルート中ではアザミ岳周辺の灌木帯が非常に歩きづらい。また、アザミ岳から南西方の主稜線はササに覆われていて、しかも尾根筋が不明瞭なので、地図で現在地を確認しながら歩く必要がある。 |
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林道終点はすでに1800m近いので、摺古木山までの標高差はわずか300mしかない。しかも1900m付近に遷急線があって、ここから上部は緩やかな前輪廻地形となっているので、まるで丘陵地を歩くような感じだ。この付近一帯は自然林が残され、シャクナゲなど季節の花も美しい。登山道入口には休憩舎とトイレが整備されている。 途中の登山道からアザミ岳をみると、山頂付近にしか自然植生がないことがよく分かる。その下はササ原で、さらに下はカラマツ植林となっている。ササ原から崩壊が始まっているように見える。 |
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沢の源頭へ向かって登山道を歩くと、急に尾根にでる。ここから山頂を経由せずに、主稜線方面へ入る道ができている。しかし、すぐとぎれてしまい、針葉樹の灌木帯の中を歩くことになる。 主稜線はしだいにササが深くなる。ササの中に切り株らしきものがあるので、昔伐採されたのだろう。 主稜線が屈曲する1995mのピーク付近は立ち枯れがめだつようになる。木曽から吹いてくる風の通り道なのかも知れない。 |
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アザミ岳北西方の稜線をみると、伊那側には緩やかな地形が発達し、木曽側には急斜面が迫っていて、顕著な非対称山稜となっている。木曽側斜面には小さな沢が発達し、その谷頭部には小さな崩壊地が並んでいる。花崗岩のマサからなる砂ザレだ。 面白いのは、辺り一面ササ原なのに、砂ザレの周囲にだけスゲの草地となっていることだ。ここではスゲが崩壊をくい止めているように見える。
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アザミ岳山頂付近は、針葉樹とシャクナゲの灌木が茂っていて、非常に歩きづらい。灌木のうすいところを探し、這うようにしながら歩くと、やっと山頂につく。 山頂は背の低いササ原で、灌木の間から西駒方面を望むことができる。標識が立っていたが、字を読むことができなかった。ここには三等三角点が設置されているはずだが、確認することができなかった。 |
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アザミ岳山頂付近の針葉樹とシャクナゲのヤブを抜けると、再びササの海原となる。テカテカと光るササと暗緑色の針葉樹、白い枯れ木のコントラストが美しい。 アザミ岳から県民の森へつづく稜線は、尾根筋がはっきりしないので、忠実にたどることは非常に難しい。とくに西の木曽側には、摺古木山自然園と同じような前輪廻地形が発達していて、浅い谷と尾根が複雑に入り組んでいる。どうしてもこの床浪高原よりを歩いてしまう。しかし、小さな谷には水が豊富なので、休憩するには良いところだ。 振り返ると、アザミ岳と摺古木山を見ることができる。アザミ岳はササ原が広がっていて明るく、摺古木山は針葉樹の自然林が黒々していて、対照的だ。山の形も、アザミ岳が丸いのに対して、摺古木山は定高性のピークがいくつもあって、どれが山頂なのがはっきりしない。 |
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稜線上に直径数m以上の、花崗岩の巨礫がときどき現れる。岩塔のように節理が発達しているわけでなく、角張っていない。円摩されたように丸く、一つだけが突然と現れる。 礫の表面を見ると、皮をむくような剥がれの跡がある。これは均質な岩石でよく見られる球状風化(たまねぎ状風化)によってできた構造だ。しかし、風化して砂のようになったマサは見られず、周囲にはササや灌木が茂っている。 なぜ、このような巨石がぽつんと尾根や山頂にあるのだろう。まず、こんなに大きな巨石が、よそから運ばれてきたとは考えづらい。しかも巨石は尾根の高い場所にある。巨石は、現在の場所でできたに違いない。次に、マサが周囲に分布していないことや風化殻のすき間などに植生が見られることから、球状風化は、現在、進行しているとは思えない。一方、標高2500m以上の西駒ヶ岳周辺では、尾根や山頂に花崗岩の巨石が岩塔をつくっていた。岩塔は垂直の節理で分離し、いくつもの岩体が集合していることも多かった。 おそらく、この付近の花崗岩巨礫は、西駒ヶ岳のような環境、すなわち今よりもずっと寒い氷期に岩塔として生まれ、温暖化とともに球状風化が進み、周囲の小さな礫からマサ化して取り除かれて、最後に残った中心部分なのだろう。つまり岩塔のなれの果てなのだ。 |
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途中から作業道が現れ、県営林境界の看板や境界杭を見るようになる。しだいに広葉樹の割合が増えてくる。 稜線から床浪高原の林道が見えてくる。林道と稜線との間には、蘭川の源流が流れている。近いところでは、標高差30mほどしかない。この付近は、伊那側の侵食の方が卓越しているので、次の氷期の時には河川争奪が起こるかも知れない。 林道は整備されていて、利用されているようだ。 |
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県民の森へ近づくにつれて、針広混交林やダケカンバ林が現れる。紅葉の時期には最高の場所だ。 正面に兀岳、左に押沢山、その手前に大平の集落がよく見える。その向こうには風越山がみえる。大平が水の豊富な土地であることがよく分かる。 今回は作業道をそのまま下りてしまったが、作業道は途中から沢へ下りてしまい道が良くないので、尾根を忠実にたどった方が良いと思う。 |
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