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■県民の森〜清内路峠


■差別侵食でできた花崗岩の凹凸

■整備された大平県民の森

■兀岳への分岐と森林相

■岩魚越峠

■河川争奪の現場

■熊の痕跡

■ササを敷き詰めた熊の寝床

■忘れ去られた清内路峠

 清内路峠から稜線に沿って、岩魚越峠、大平峠を経由して県民の森まで歩いた。

 県民の森周辺や兀岳への登山道は整備されているので快適なハイキングができる。しかし、清内路峠から岩魚越峠北方までは、1474mピーク付近を除いて、山道がほとんどない。ササが密生していて歩行が困難なところもある。岩魚越峠から兀岳分岐までの稜線も道がなかったので、小黒川源流の沢沿いの山道を歩くことにした。

 ここでは、実際の歩行とは逆に、北から南へと自然の様子を紹介する。


▲県民の森−清内路峠のマップ(カシミール3Dを利用)
 赤線は今回の歩行ルート(GPSトラック)。

差別侵食でできた花崗岩の凹凸

 県民の森の稜線付近は、白い長石の結晶がめだつ伊奈川花崗岩が分布している。花崗岩は風化しているため、角がとれて、表面がザラザラしている。そのため、ところどころにコケや地衣類が付着している。コケのないところを見ると、表面がきれいになっている。たぶん、コケが大きくなると、付着していた風化花崗岩の表面を薄くはぎ取って、ひとかたまりとなって剥がれ落ちるのだろう。

 花崗岩の表面は、平らでなく、波状に凹凸ができている。興味深いのは、凹んだところは結晶が大きく、凸状の部分は結晶が小さいことだ。一般に、花崗岩は粒が大きいほど風化しやすい。たぶん、この凹凸は、風化しやすい粗粒な部分の差別侵食によってできたのだろう。

▲花崗岩表面の凹凸とコケ
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整備された大平県民の森

 大平県民の森は、かつて小さなスキー場だった。スキー場は、周りの稜線から小さな沢が集まるゆるやかな地形を利用していた。今も草地が残っているが、その周囲にはブナやミズナラなどの落葉広葉樹林が広がり、豊かな水があちこちに流れている。

 現在はキャンプ場になり、気持ちの良い小道がいくつも整備されている。春には野鳥のさえずりに聞き耳をたてながら、芽吹きの色を楽しむことができる。

▲夏焼山付近のハイキング道
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■兀岳への分岐と森林相

 大平峠から兀岳への分岐までは、刈り込みされた良い道がある。この道を境に、西側にはヒノキ、サワラ、ブナ、シナノキなどの巨木が茂る見事な森が残っている。これは徳川藩による留山が、明治になっても御料林として保護されてきたことによるのだろう。東側は主にカラマツ植林地となっている。

 稜線から西へ張り出した兀岳への分岐には、御料林時代のりっぱな境界杭が残っている。杭には「宮」と「界」の文字の他に「伊那」という文字も読みとれる。すぐ南の尾根頭と兀岳山頂には御料局三角点が残っている。 

▲御料林の境界杭
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■岩魚越峠

 清内路から南木曽方面の漆畑へでるのに、小黒川を遡って行く小道があった。その峠が岩魚越峠である。この峠道は、国土地理院の2万5千分の1地形図に破線で描かれているが、現在は清内路側しか残っていない。

 峠には、御料林の境界杭がある。この境界杭の「宮」の文字は、うかんむりが丸く全体を覆っていて、デフォルメされた形が面白い。

▲岩魚越峠にみられた境界杭
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河川争奪の現場

 岩魚越峠のすぐ南には、木曽谷側が急峻で、伊那谷側が緩やかとなっている場所がある。このあたりは稜線の両側の雰囲気が著しく異なっている。

 伊那谷側には稜線と平行して南から北へ流れる小さな川があり、実に穏やかだ。一方、木曽谷側は崩壊地となっていて、稜線の一部まで崩壊している。

 稜線と流れの一番狭いところは10mほどで、川底との比高は1mしかない。大雨で、いったん流れが木曽谷側へ落ちてしまえば、そのまま河川争奪が起こってしまうだろう。

▲崩壊地(左)と川の流れ(右)
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熊の痕跡

 稜線沿いでは、ササに覆われた二次林が多く、ときどきヒノキやカラマツの植林地がでてくる。二次林の中には、まれに太くてりっぱな樹木もあるが、ダケカンバや貧弱な広葉樹が多い。それでも、ヒノキ林と二次林との境には、熊はぎの跡をいくつも見ることができるので、熊が結構たくさん生息しているのかも知れない。

 森林のプラスチックでできた境界杭が落ちていたので、なにげなく拾ってみると、いくつも穴が空いているのに気がついた。穴の大きさは、大きくても直径1cmほどでそれほど大きくないように見える。しかし、よく見ると、穴はけっこう鋭くて、四つの角に沿っていくつも並んでいる。

 もしかしたら、熊が何度も何度もかじった跡なのかも知れない。

▲熊はぎ
▲熊の噛み跡?
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ササを敷き詰めた熊の寝床

 清内路峠付近のササ原を無心に漕いでいると、直径2mほどのぽっかりと空間が空いた場所を見つけた。空いた場所には、ササがしっかりと敷き詰められていて、大きな鳥の巣のようだ。たぶん熊の寝床なのだろう。

 この付近はササは結構深くて、稜線を歩くのはたいへんだ。見通しが悪い上に、熊の痕跡があちこちあるので、鈴をしっかり鳴らしながら歩きたい。

▲熊の寝床
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■忘れ去られた清内路峠

 1999年に清内路トンネルが開通して以来、この峠道はほとんど人が通らなくなってしまった。両側の入口にゲートができて車が入れないためだ。久しぶりに峠まで歩いたが、なんだか道が細くなってしまったような気がした。

 ところで、この峠は、清内路峠断層の断層鞍部にできたものだ。地形図をみれば、南北に鞍部がつながっているのがよく分かる。政府の地震調査会は、この断層を活動予測を行う活断層の一つに選んだが、資料がなくて今後30年間の発生確率を出していない。しかし、最近のトレンチ調査から、北方の木曽山脈西縁断層帯は700年ほど前に活動したことが分かってきた。また、清内路峠断層が横切る阿智村横川や清内路村桑畑沢では、1586年に埋没したヒノキが見つかっている。

 清内路峠断層は、もしかすると数百年前に動いたのかも知れない。

▲清内路峠のスノーシェード
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