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■牛首峠〜楡沢山


■茸の止め山

■雑木林の中の小道

■稜線でみられる小さな侵食地形

■山頂の平滑斜面に現れた小段地形

■坊主岳林道でみる地質や地形

■断層線谷上の桑崎

 牛首峠から木曽義仲の隠れ城伝説のある楡沢山までの稜線歩きを楽しんだ。帰りは、北西斜面につけられた坊主岳林道へ降り、廃村となってしまった桑崎を経て、牛首峠までもどった。
 途中、楡沢山から林道への下降点付近まで、胸の高さまでササに覆われている。しかし、全体としてみると、ササはうすいので歩くのにそれほど気にならない。
 楡沢山山頂付近は、平坦地と線状凹地が発達していて、複雑な地形をしているので、磁石で方角を確認しながら稜線をたどってほしい。稜線や下降する尾根には赤布がたくさんつけられているので、一つ一つ探しながら歩くことができる。
 このルートも、辰野側が茸山となっているので、キノコシーズンの入山は避けた方がよいだろう


▲牛首峠−楡沢山のマップ(カシミール3Dを利用)
 赤線はGPSのトラックデータ、とぎれている部分はスイッチの付け忘れ。

■茸の止め山

 牛首峠からしばらくは分水界でなく、林道を通って峠に出る。終点には、茸山入山禁止の物々しい看板がある。山の恵みが金銭で売買されるのは、少し悲しい気持ちがするが、茸山として地区の人々が里山を管理することで、野生動物の住む自然地域との緩衝地帯の役割を果たしていれば、それも必要かもしれないと思う。

 ところで、この峠は面白い場所にある。分水界となっている稜線をバッサリと切るように、北北西および南南東から谷がのびてきて、その谷頭に位置しているからだ。一般に、このようなところを谷中分水界と呼んでいて、谷沿いに断層があることが多い。従来の地質図には断層は引かれてないし、この峠を挟んで岩相が変化するわけでもない。しかし、谷が直線過ぎるのは、地層の弱線があるとしか思えない。

▲茸採りの入山を禁止した看板
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■雑木林の中の小道

 辰野側はアカマツやミズナラの雑木林となっていて、ほとんど茸山だ。御下賜林らしく、現在は共有林なのだろう。旧楢川村側は長野営林局管轄で、ヒノキやカラマツの植林がところどころなされている。道はあまりはっきりしていないが、それぞれの山林の境界見出標をたどれば、道を迷うことはない。ササなどの下草も少ないので、フカフカの落ち葉を踏みしめながら楽しく歩くことができる。稜線にはミズナラやブナの大木が残る。ミズナラにはクマだながみられ、フンや爪痕など、クマの痕跡が多いので、鈴を鳴らしながら歩きたい。

▲稜線は気持ちの良い雑木林
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■稜線でみられる小さな侵食地形

 稜線というは、けっこう変化の激しい場所と思う。ときどき長径数mの三日月形の穴ぼこが現れる。少し歩くと、今度は風倒木によって土壌が掘られてできた、やはり直径数mほどの穴ぼこがある。おそらく先の三日月形の穴ぼこも、昔の風倒木の跡で、風倒木自身はくさって無くなってしまったのだろう。

 一方、重力性の断層地形である線状凹地や、それよりも小規模の線状凹地が斜面に沿って短冊状に並ぶ小段地形などもみられる。この付近の地質は変成度の弱い砂岩や泥岩だ。これらは、稜線方向の走向をもち、垂直に近く突っ立っている。そのため、河川の侵食前線が稜線まで登ってくる前に、稜線の肩が下方へずれ落ちてしまいやすいのだろう。地図上で、河川の谷頭が馬蹄形になっている部分があるが、多くは、これらの線状凹地や小段地形が重力滑動によって崩れ落ちてしまってできた地形だ。旧楢川村側の方にこの地形が多いのは、辰野側に比べて、河川侵食が激しいためなのだろう。

▲三日月形の凹み
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■山頂の平滑斜面に現れた小段地形

 木曽義仲の隠れ城伝説のある楡沢山は、地形図をみると、山頂が平滑で、傾斜変換線をへて急な山腹斜面となっている。しかし、実際にここを訪れてみると、平滑と思っていた山頂部は、線状凹地や、段々畑のように平坦部と急傾斜部が交互に並んでいる。線状凹地を空堀跡、小段地形を土塁と推定し、中世の山城跡だとする見解もある。しかし、楢川村誌の自然編では、氷河時代の周氷河作用によって平坦化した平滑斜面が、その後の重力性の地すべり性正断層によって線状凹地や小段地形が刻まれた自然地形としている。これについては、筆者も同感であり、基本的には自然地形なのだと思う。

▲楡沢山の小段地形
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■坊主岳林道でみる地質や地形

 稜線と平行するように、旧楢川村側の山腹に坊主岳林道が開設されている。ここでは、垂直に突っ立ったジュラ紀の砂岩や泥岩をみることができる。その多くは、きれいな縞模様の発達した砂岩泥岩互層だ。これは、陸棚や海溝陸側斜面にいったん堆積した砂や泥が、地震などをきっかけとして再び崩れ、斜面に沿って海溝などの深海まで運ばれて堆積したものだ。これを乱泥流堆積物という。また、これらの地層に貫入してきた珪長質岩脈などもみることができる。

 谷沿いには、土石流として押し出してきた土砂の堆積地形や、地すべり性の移動地塊などを認めることができる。これらの支川が奈良井川へ合流する地点にも扇状地性の堆積地形がみられる。これらのことから、稜線の北西斜面はかなり活発な土砂生産をしていることが窺える。

▲急傾斜する層状砂岩
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■断層線谷上の桑崎

 牛首から桑崎、平沢へと、一直線のリニアメントがみえる。これは霧訪山断層沿いの地層の弱線にそって侵食した地形だ。桑崎は、霧訪山断層の断層線谷に堆積した土石流段丘上の集落だ。すでに廃村になって久しく、神社やお地蔵様が痛々しい姿をみせている。

 土石流堆積物の多くは南東の主稜線から押し出したもので、扇状地性の緩傾斜面をつくっている。これらは河川による開析がすすんでいるので、ところどころで土石流堆積物が観察できる。

▲桑崎の段丘をつくっている土石流堆積物
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