▲目次へ戻る | |||||
■坊主岳〜権兵衛峠 | |||||
塩尻市に編入した旧楢川村の奈良井ダムから坊主岳へ登り、主稜線沿いに仏谷から経ヶ岳への分岐を経て、権兵衛峠まで歩いた。途中、権兵衛峠への稜線上で時間切れとなり、ビバークした。権兵衛峠からは、デポしておいた自転車を使って下り、登山口へもどった。 坊主岳から経ヶ岳への分岐までは、ササ藪がひどくてほとんど踏み跡さえない。とくに登りでは普段の3倍くらい時間がかかると思った方がよい。経ヶ岳分岐から権兵衛峠への尾根道は、かろうじて残っているが、ササが深いところでは道をたどることは困難である。地形図、高度計、 GPSなどで現在地をよく確認しながら歩く必要がある。 |
| ||||
奈良井ダムは巨石を積んで水圧を支えるロックフィルダムだ。一般に、ロックフィルダムは地盤の良くない場所につくられる。このダムの西方2kmのところに神谷峠がある。ちょうどこの鞍部を、神谷断層が北西−南東方向に走っている。周囲の地層(泥岩・砂岩)は、この断層に引きずられるように屈曲している。地盤が悪いのは、この地層の屈曲のせいかもしれない。 巨石を積み上げたダムの堤体をみると、下部が黒くて、上部が白い。これは上下で岩石が異なっているからだ。下部は泥岩や砂岩で、上部は花崗岩らしい。どうも、付近の岩石だけでは足りなくなったので、よそから花崗岩を運んできたらしい。 |
| ||||
▲戻る ▼次へ |
|||||
イノコ沢出合い付近に山道の入り口がある。ジグザグにしばらく登ると、石像物や小さな祠をまつった白翁神社が現れる。ここから道がはっきりしなくなるが、尾根を忠実に登っていけばよい。 しばらく登るとカラマツ植林地となり、ササがでてくる。勾配が緩やかなところほどササが深い。1500mを越えるところで尾根の向きが南北から東西へと直角に変わる。ここに南北方向の線状凹地ができている。西側の地形をみると、斜面の勾配が小刻みに変化しているので、この線状凹地から西側の部分が崩壊しはじめているのかもしれない。 |
| ||||
▲戻る ▼次へ |
|||||
山頂のササ原はけっこう変化に富んでいる。風衝地ではササも低くなり、スゲなどの草地がパッチ状に入ってくる。また、ハイマツやレンゲツツジが混じったりしてササ一色の単純な植相ではない。7月中旬になると、ササユリがいくつも咲いていてけっこう華やかだ。 周辺にはモミやツガなどの針葉樹がまばらに生えているが、これらは今後、どう推移するのだろうか。 |
| ||||
▲戻る ▼次へ |
|||||
坊主岳から仏谷への稜線は、ササが深くてけっこう厳しい。稜線がやせてくると、ササはなくなるが、アップダウンが激しくなる。 やせた稜線にはチャートが目立つようになる。弱い熱変成を受けているので、保存はよくないが、チャートには放散虫やコノドントの化石が含まれている。チャートは非常に硬いので、ところどころで岩塔をつくっていて、稜線歩きを楽しくしてくれる。 振り返ると、坊主岳が美しい。
|
| ||||
▲戻る ▼次へ |
|||||
仏谷手前の2050m付近の稜線には、みごとな平坦地ができている。平坦地は稜線からわずかに南へ下がったところにあり、稜線と平坦地との間には、線状凹地ができている。 これは、氷河時代に強い凍結破砕作用によって稜線域が平坦化され、その後、稜線の南側の岩体が、南の谷へずり下がってできたものだろう。 |
| ||||
▲戻る ▼次へ |
|||||
経ヶ岳山頂が近づくと、主稜線と経ヶ岳との間に、北北東へ開いた緩やかな谷頭部が現れる。地図をみると、これは横川川の源流である。興味深いのは、この谷は源流から2050m付近まで緩やかであるが、ここで一気に急となって流れ下っていることだ。この遷移点には、50m以上の滝がありそうだ。 この緩やかな谷の北西側(左岸)の尾根も、谷の遷移点付近までゆるやかであるが、ここで岩塔をつくった後、急となっている。どうもこの岩塔と滝、さらに経ヶ岳山頂にかけては、硬い地質でできているらしい。そのため、侵食に抵抗して、古い地形が残っているようだ。 さらに、この緩やかな谷の右岸側(経ヶ岳側)は、針葉樹が一斉に枯れている。西もしくは南風が強く当たって、縞枯れのようになっているのかもしれない。 |
|
||||
▲戻る ▼次へ |
|||||
経ヶ岳から権兵衛峠へは、かつて道が付けられていたらしいが、今ではササに埋もれてはっきりしないところが多い。それでも、原生林の中ではところどころ踏み跡が残っている。 ササ原の多くは、胸までもぐってしまうので、漕ぐのがたいへんだが、ときどき背が低くて、膝ぐらいまでしかないところがある。こんなササ原では色とりどりの花が咲いていて、天国のようだ。 |
|