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■千畳敷〜奥念丈岳2(空木岳〜奥念丈岳)


■登山道沿いの侵食と植生復元

■摺鉢窪カールと避難小屋

■花崗岩に働く風化と侵食

■花崗岩の風化とマサ

■条線土

■風衝地とハイマツ林

■崩壊地と周辺植生との関係

■花崗岩地帯の崩壊地

■風衝地のササ原と風隙地のカンバ林

 空木岳から南駒ヶ岳、越百山を越えて、中小川へ下りる分岐までは大変良い登山道がつけられている。しかし、次第に山道は細くなってササ藪の中に埋もれるようになる。

 奥念丈岳は、中央アルプスの中で最も奥深い場所の一つと思う。どのルートをとっても日帰りは困難だ。おまけにササに覆われているので、体力とルートファインデイングが必要となる。

 今回は、奥念丈岳から本高森山を経由し、高森ゴルフ場へ下りた。


▲空木岳−念丈岳のマップ(カシミール3Dを利用)
 赤線は今回の歩行ルート。

登山道沿いの侵食と植生復元

 空木岳は登山者が多いせいか、登山道沿いの侵食と裸地化が著しい。最近になって、山頂から空木平の間では、椰子マットを使った植生復元作業がなされている。椰子マットが土壌侵食をくいとめ、周辺の自然植生からの種子散布によって、植生を回復させようとする試みだ。2005年7月には、一般登山者も加わって、空木平へ下る登山道脇に、椰子マットを敷設したらしい。たぶん日頃の管理が大切になってくるだろう。

 高山帯という厳しい環境の中で、一度失った植生を復元することが、いかに困難なことであるかを私たちはよく認識する必要がある。

▲空木岳山頂からみた駒峰ヒュッテ
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摺鉢窪カールと避難小屋

 摺鉢窪カールは形の整ったカールだ。残雪期には、カール壁に五つの岩が現れ、里からもよく見ることができる。この雪形は五人坊主と呼ばれている。

 カール底には赤い屋根の避難小屋がある。稜線からみると、百間ナギの崩壊が避難小屋のすぐそばに迫っているようすが分かる。小さな崩壊は毎日のように繰り返しているが、ときどき地形が変わるほどの大きな崩壊もしているらしい。崩壊上部の沢が拡大し、避難小屋の南に食い込んでいる。

 崩壊した土砂は与田切川支流のオンボロ沢へ供給される。この沢は土石流が頻繁に発生しており、与田切川ではカメラやワイヤーなどの土石流監視装置が設置され、砂防ダムがいくつもできている。

 崩壊地の壁面を見ると、大きな礫が並んでいる。これは、カール氷河によって運ばれてきたターミナルモレーンだ。これを見るだけで、氷期の頃は今とは比べものにならないほど土砂生産が盛んだったことが分かる。

▲稜線からみた摺鉢窪カール
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花崗岩に働く風化と侵食

 高山帯の稜線は風化と侵食が急速に進む。里と比べて、温度変化が大きく、冬季の風雪は厳しい。そのため、岩石表面には差別侵食によって、いろんな模様が現れる。

 花崗岩は目で見えるほどの大きさの結晶(鉱物)の集合からなる。鉱物は、それぞれ膨張率がことなるので、温度変化を受けつづけると、しだいに粒子間に割れ目ができる。いったん割れ目ができると、そこにしみ込んだ水の凍結融解作用によって、急速に風化する。このことから、鉱物粒子の大きな岩石ほど風化を受けやすいことが分かるだろう。

 風化した粗粒な部分が冬季の風雪によって取り除かれれば、細粒な部分が飛び出すことになる。

▲突きだした変輝緑岩の脈
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■花崗岩の風化とマサ

 花崗岩は風化を強く受けると、鉱物同士がバラバラとなって砂状になってしまう。これをマサという。

 空木岳から南部にかけては、粗粒の伊奈川花崗岩が分布している。稜線の道沿いには、これが風化してマサがちらばっている。白く濁った鉱物が長石、灰色で透明感があるのが石英、金色にキラキラ輝くのは黒雲母だ。

 高山帯では、このような物理風化を強く受け、花崗岩はマサ化しやすい。

 

▲風化花崗岩とマサ
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条線土

 急峻なところでは,マサは雨風によってすぐに流されてしまう。しかし、緩やかな斜面ではマサは面白い模様をつくる。

 越百山の南では、登山者が少ないせいか、マサの表面にできた条線土がよく残っている。条線土は、砂中の水分が凍結融解を繰り返すことによって、粒子が下方へ移動するとともに大きさによってふるいわけられてできた縞模様のことをいう。周氷河地形の一つだ。

 このように地表がいつまでも移動するので、植生がつきにくい。このような場所の植生が、いったん剥がれてしまえば、もとにもどることがいかに難しいか分かるだろう。

▲周氷河地形の一つ、条線土
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風衝地とハイマツ林

 越百山から南部の稜線には、亜高山帯の針葉樹林が広がるようになる。稜線沿いでは、環境がまだ厳しいためかそれほど高くは伸びない。

 鞍部にくると、針葉樹はとぎれて、再びハイマツが現れる。どうも稜線の鞍部は、風が収束して強く吹きつける風衝地となっている。そのため、亜高山帯の中でもハイマツ林が残っているらしい。

▲鞍部にのみ発達するハイマツ林
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崩壊地と周辺植生との関係

 越百山から南部にくると、木曽側で崩壊地がめだつようになる。とくに稜線まで食い込んでいる大きな崩壊地は、遠くからでもよく目立っている。

 針葉樹の緑と崩壊地の白のコントラストは見た目には美しいが、崩壊地の動態は気になるだろう。崩壊地およびその周囲をよく観察すると、新旧の程度くらいは分かりそうだ。

 崩壊地内にマサがなく岩肌がごつごつしているような崩壊地はたぶん新しいのだろう。稜線まで食い込んでいる大きな崩壊地は、このような新しい崩壊地だ。この崩壊地の周囲(とくに上部)では針葉樹が立ち枯れしている。よくみると、それが上方にも2列見られ、縞枯れしているようだ。一方、崩壊地内にマサや角礫が堆積していて、現在は安定していそうな崩壊地もある。ここでは、周囲に針葉樹の低木帯が見られた。

 八ヶ岳の縞枯山では、立ち枯れが帯のようになって上方へ年間1〜2mの速さで移動していき、それを追うように幼樹や低木の帯も移動することから、縞枯れ現象は針葉樹の更新の一つのスタイルと考えられている。越百山から念丈岳にかけての稜線西側(木曽側)斜面も、同じような縞枯れ現象が起こっているようだ。

新しい崩壊地の周囲に見られる縞枯れ
▲古い崩壊地の周囲の低木帯
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■花崗岩地帯の崩壊地

 花崗岩は風化しやすいため、風化した部分だけがすべるという表層すべりを起こしやすい。そのため、大雨や大地震をきっかけにして、ある山域が一瞬にしてはげ山になってしまうこともある。

 木曽側斜面の、無数の小さな崩壊地を見ていると、ある事件で、一瞬にしてできたように思える。過去の記録を調べたり、今後の変化に注意していきたい。

▲木曽側の斜面に発達する崩壊地
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■風衝地のササ原と風隙地のカンバ林

 与田切乗越は、主稜線と念丈岳との鞍部だ。ここは、片桐松川と飯田松川の源流にあたる。ここに南からの風が集中するためか、かつてかすみ網を張る鳥屋場あったらしい。

 興味深いのは、風によって植生が全く異なることだ。飯田松川側(南)は風衝地となっているせいか一面ササ原だ。一方、風隙地の片桐松川側(北)は、カンバ林となっている。

▲非対称の植生配置を示す与田切乗越
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