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■千畳敷〜奥念丈岳1(千畳敷〜空木岳)


■三沢岳のカールと線状凹地

■中央アルプス南部と断層地形

■極楽平付近の登山道の侵食

■強い偏西風がつくった主稜線

■線状凹地と池ノ平カール

■花崗岩の節理と風化

■花崗岩の岩相境界

■裸地を緑に変える植生復元

 標高2500m以上になると、日帰りで稜線歩きは難しくなる。そこで、ロープウェイを使って千畳敷までいき、ここから南へ2泊3日の稜線歩きをすることにした。

 初日は稜線を南下し、木曽殿山荘へ宿泊。2日目は空木岳−南駒ヶ岳−越百山−奥念丈岳とたどり、念丈岳南の水場でテントを張った。3日目は本高森山を経由して、高森ゴルフ場へ下山した。

 今回は、植生専門の同僚と一緒だったため、高山〜亜高山帯における植生と地形との関連を学ぶことができた。

 ルートが長いので、前半を千畳敷−空木岳、後半を空木岳−奥念丈岳と、分けて紹介する。


▲千畳敷−空木岳のマップ(カシミール3Dを利用)
 赤線は今回の歩行ルート。

三沢岳のカールと線状凹地

 極楽平から三沢岳の間には、大小3つのカールがある。小さいけれどきれいな形をしているのが、三沢岳に近い、奥のカールだ。遠望すると、岩塔、岩塊斜面、ハイマツ林、ダケカンバ林、草地などが入り組んでいて、植生や地形が変化に富んでいることが分かる。

 手前の大きなカールをみると、稜線と平行する二筋の線状凹地がある。線状凹地の部分だけ草地となっているので分かりやすい。これを南西方向へ延長すると、形の整った奥のカールへとつづく。

 よくみると、奥のカールから三沢岳山頂にかけて、線状凹地をつくった正断層によって、北西方へずれ落ちているように見える。氷河がさった二万年前以降の後氷期の変化なのだろうか。

▲小段をもつ三沢岳南東斜面とカール
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中央アルプス南部と断層地形

 稜線から南方をみると、恵那山のどっしりした姿がみえる。その右手前には南木曽岳がけっこう大きくみえる。この2つの山塊は、清内路峠断層によって中央アルプス主部から隔てられている。そして、清内路峠断層にそって花崗岩が著しく風化し侵食されて谷地形となっているため、断層の向こうの山塊がよく見えるというわけだ。

 越百山より南部をみると、尾根が清内路峠断層がつくる谷へ向かってゆっくりと下がっているのが分かる。一方、手前の越百山までの支尾根をみると、尾根の起伏が大きく、鞍部がいくつも確認できる。これらは、北東−南西方向に伸びる断層がつくった断層鞍部なのだろう。

▲稜線からみた恵那山と南木曽岳
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極楽平付近の登山道の侵食

 極楽平付近は登山者が多いせいか、登山道沿いの侵食がめだつ。多くの登山者が歩くことによって、土壌が削られていくとともに、踏み固められる。すると、大雨のときに、登山道が川のようになって、さらに侵食が進んでいく。掘り下げられた断面には、ハイマツの根と土壌化した風化花崗岩がむき出しとなる。

 もちろん、オーバーユースを議論しなければならないだろう。しかし、その前提として、高山帯の特性をきちんと理解する必要があるように思う。

 高山帯は、風化・侵食などの自然の営力が著しく大きい場所だ。地形と植生の関係は、このような厳しい場所での、長い間のせめぎ合いの結果、できあがった一種の平衡状態だ。そこに、人為的なかく乱が加わると、新しい平衡状態をつくるために、急激な変化がおこる。登山道沿いを流れる水の処理によっては、著しい崩壊を招くことだってあるだろうし、その崩壊が人里の環境を悪くすることもありうるだろう。

 オーバーユースを議論すると同時に、登山道がもたらす環境変化を、もっと地道にきちんと調べて、高山帯への負荷を最小限にする技術を編み出さなくてはならない。

▲登山道沿いの侵食とハイマツの根
▲むき出しの根が強い風でコンパスのように削った土壌の三日月模様
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強い偏西風がつくった主稜線

 南北方向に連なる中央アルプスには、非対称の主稜線がめだつ。

 まず、地形に注目すると、西斜面は凸型をしていて、主稜線に近い部分が緩やかとなる。一方、東斜面は凹型もしくは平面形で、主稜線近くに急な崩壊地が迫っていることがある。つまり稜線に近い部分がとくに非対称になっている。

 植生をみると、西斜面は主稜線付近に岩礫地と草地やハイマツがモザイク状に入り込み、ハイマツ帯が下の方まで広がっている。東斜面は、稜線付近までダケカンバ林が上がってきている。

 このような非対称形は、強い偏西風がつくったものだろう。西側の稜線付近が緩やかで樹林に覆われていないのは、冬季の偏西風がとくに主稜線付近に激しく当たるため、植生の発達を阻んできたこと。さらに、植生が発達しないので、西側稜線付近のみ風化・侵食が促進されてきたことが原因と思われる。

▲非対称の主稜線の形と植生
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線状凹地と池ノ平カール

 檜尾岳から熊沢岳の稜線には、稜線とやや斜交した方向に線状凹地がいくつかある。この線状凹地を東へ延長すると、斜面に窪みができていることがある。その一つは、池ノ平カールだ。池ノ平カールは、侵食地形がそれほど明瞭でなく、下流域にU字谷などはみられない。おそらく、氷河が最大に大きくなったときでも、小さな氷河がカール氷河としてできていただけと思われる。

 もしかすると、もともと氷河や氷河地形が無い場所で最初に氷河がつくられる時、周氷河性平坦面や線状凹地のような、傾斜が緩やかで雪が厚く堆積できる場所が必要なのかもしれない。小さな氷河地形でこそ、氷河発生の原因がつかめるかもしれない。

▲池ノ平カールと池
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花崗岩の節理と風化

 花崗岩には、マグマから冷却するとき収縮するために、節理という割れ目ができる。また、周りから力を受けて、節理ができることもある。

 節理にそって水がしみこむようになると、凍結融解を繰り返すことによって、風化が進行する。すると、急傾斜地では、節理面ではがれて垂直な岩壁ができる。一方、稜線や尾根では、節理面が両側にはがれて岩塔ができる。

 節理面の間隔も地形形成に大きな影響をもっているらしい。間隔が狭い地域では、風化が進行して緩傾斜地や鞍部をつくる。逆に、間隔が広いと、岩塔や岩壁が発達する。

▲花崗岩の節理
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花崗岩の岩相境界

 木曽殿越から北方には、暗色包有物を多く含む木曽駒花崗岩、南方には、白っぽくて粒の大きな伊奈川花崗岩が分布している。ちょうど、この鞍部付近が岩相境界になっている。

 しかし、登山道沿いで境界を見つけるのはなかなか難しい。岩石が風化していたり、周辺部は岩相変化が著しいからだ。でも、、木曽殿山荘へ入る階段の敷石に、木曽駒花崗岩と伊奈川花崗岩の両方がみられるので、ここでそれぞれの花崗岩の特徴を確認しておくと良いだろう。

▲木曽殿山荘の敷石に使われた木曽駒花崗岩(左)と伊奈川花崗岩(右)
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■裸地を緑に変える植生復元

 木曽殿越では、裸地化した荒れ地に椰子の繊維でできたマットを敷き、その上に周辺の草本から採取した種をまいて、植生を復元させる実験が、中部森林管理局によって行われていた。2003年に実験が開始され、2004年および今年(2005年)にモニタリング調査がなされている。

 2004年のモニタリング調査では播種した種子だけでなく、周囲から自然に落ちた種子の発芽も認められたらしい。この成果を受け、今年(2005年)は中岳の裸地化した場所で、信州大学農学部の学生や山岳ボランティアも加わって、大々的に行われた。これは、中部森林管理局による「自然再生推進モデル事業」と名づけられている。

 椰子マットは土壌の流出を防ぎ、植生が回復する頃には分解して肥料になるという想定だ。しかし、発芽しても植生が回復したわけではない。植生が回復するまでモニタリング調査をつづけ、きちんと記録してほしい。こういう基礎的な調査記録が、これからの事業に大切となってくるものと思う。

▲木曽殿越での植生復元実験
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