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上野北本城城跡


1.所在地 飯田市座光寺城
2.城館の概要

座光寺氏の居城といわれ、1568(永禄10)年武田晴信(信玄)が生嶋足嶋神社に捧げた起請文には座光寺三郎左衛門尉貞房の名が登場する。1575(天正3)年織田信忠が美濃国岩村城を攻略した際、城主秋山信友とともに磔死し、以後急速に衰えた。築城時期などは不明である。座光寺小学校・保育園建設により、主要な南・東・西・北の各郭などは残存していない。

3.調査
  • 年次     1981・1990・1998・2004年
  • 調査主体   飯田市教育委員会
  • 調査原因   小学校建設(1981年)、児童センター建設(1990年)
           広域農道整備事業(1998年)、保育園建設(2004年)
4.調査の概要

小学校建設に先立つ調査では、東郭・南郭が発掘され、居住的な性格が強い城であること、南郭は内部が段形成されかつ多く手が入れられ中心的な郭であることが指摘された。15世紀後半から16世紀前半の遺物が出土している。児童センター建設に先立つ北郭の発掘では、城郭に関連した竪穴・溝状址・土坑等が調査された。恒久的な建物などの施設の他に、簡易的な建物や柵などが存在したことが判明した。さらに保育園建設に伴う西郭・北郭の発掘では、両郭間の堀、多数の掘立柱建物址(西郭7棟・北郭11棟)、柵列が調査されている。
また、広域農道に先立つ調査では、西側を区画する堀(幅1.9〜4.3m、深さ0.4〜1.9m)を検出した。

5.遺物の保管 飯田市教育委員会
6.文献

飯田市教育委員会 1992 『北本城々跡』
飯田市教育委員会 1999 『稲荷坂遺跡』
飯田市教育委員会 2003 『北本城々跡 北本城古墳』
飯田市教育委員会 2005 『北本城跡III』


遠望
遠望
南・西郭間の土橋
南・西郭間の土橋

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