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松岡城跡


1.所在地 下伊那郡高森町下市田
2.城館の概要

高森町史跡(1987年指定)。下市田の中央にある段丘上に位置する。松岡氏一族の築城と伝えられ、主郭・二の郭〜五の郭からなる連郭式の城である。築城時期は定かではないが、室町時代前期(14世紀代)ともいわれ、1400(応永7)年の大塔合戦、1440(永享12)年の結城合戦には小笠原氏の有力武将として参戦している。1588(天正16)年頃徳川氏により改易され、廃城となった。

3.調査
  • 年次     1990(平成2)年
  • 調査主体   高森町教育委員会
  • 調査原因   公園整備・町道改良工事
4.調査の概要

主郭では西側部分で土塁と建物跡5棟や石列、竪穴状の遺構などが、また二の郭との間の「一の堀」と土橋が調査された。土塁内側には石垣や武者走り状の登坂などがあり、何らかの構築物があった可能性が指摘されている。郭内に礎石を持つ建物跡が複数検出されるなど、居住的な色彩が強い遺構が目立つ。遺物の多くは「一の堀」からの出土であり、青磁碗・天目茶碗・小碗・小皿・卸皿・擂鉢・甕(常滑および中津川窯)、内耳土器、坩堝、鞴羽口、銅鍋、石鉢・石臼などがある。13〜16世紀代の時間幅がある。
町道改良工事では、五の郭・「五の堀」とその西側(松源寺平遺跡)の調査が行われた。「五の堀」の西側で2条の石組を伴う水路跡が調査され、地表からの深さや石組の構造から、城内へ引水されていた可能性がある。また五の郭では焼土塊3箇所など工房跡と考えられる痕跡がある。青磁・天目茶碗・壷・甕・擂鉢・内耳土器・鞴羽口・鉄滓などが出土している。

5.遺物の保管 高森町教育委員会
6.文献

市村咸人 1941 「松岡城阯」 『史蹟名勝天然紀念物調査報告』第22輯
山本脩平 1982 「松岡城址の試掘とその経過」(1)〜(3) 『伊那』1982-4・5・8
塩澤尚人 1990 「松岡城址 下伊那郡高森町下市田」 『伊那』1990-11
今村善興 1991 「松岡城跡発掘調査報告」 『伊那』1991-11
高森町教育委員会 1995 『松岡城跡』 
(右側の写真提供:高森町教育委員会)


遠望(中央右)
遠望(中央右)
「一の堀」の土橋
「一の堀」の土橋

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