中世の山城へ戻る ▲トップページへ戻る

吉岡城跡


1.所在地 下伊那郡下條村陽皐吉岡
2.城館の概要

小笠原氏から康氏を養子に迎えた下条氏が、1475(文明7)年築城して居城を大沢城から移した。主郭・二の郭・殿郭・出郭からなる連郭式の平山城であり、南の沢・北の沢により画されている。下条氏は1584(天正12)年頼安が小笠原信嶺に騙し討ちされると急速に勢力が衰え、陣中での失火が元で1587(天正15)年改易となり、廃城となった。

3.調査

(年次・調査主体・調査原因)
 ・1973年 下條村教育委員会 国道建設
 ・1989年 同上 公園整備
 ・1990年 同上 集会施設建設
 ・1992・93年 同上 村道改良工事
 ・1997年 同上 村道改良工事

4.調査の概要

国道建設に先立つ主郭の発掘では、配石遺構・土坑・土留石積みなどが調査され、青磁碗、天目茶碗・皿・擂鉢、内耳土器、石臼、金剛杵が出土した。公園整備に先立つ主郭の発掘では、大型建物跡・工房跡・竪穴が調査され、天目茶碗・擂鉢、内耳土器、鞴羽口・鉄滓などが出土した。集会施設建設に先立つ主郭の発掘では、建物跡・石列・溝跡が調査され、青磁碗、天目茶碗・腰折皿・丸碗・擂鉢が出土した。遺物の大半は15世紀末から16世紀代に位置づく。1992・93年の村道工事に先立つ二の郭の発掘では、建物跡7棟・竪穴3基・石列等が調査され、5つの段差が確認された。青磁碗・染付、天目茶碗・平碗・腰折皿・甕・擂鉢、永楽通宝などが出土した。1997年は二の郭から郭外の調査を実施し、建物の柱穴が検出された。

5.遺物の保管 下條村教育委員会
6.文献

福島邦一 1971 「口絵 吉岡城址 下伊那郡下条村」『伊那』1971-11
原 董 1990 「吉岡城址(下條氏の居城)」 『伊那』1990-11
今村善興 1994 「下條村吉岡城跡発掘調査結果と城跡の見直し」 『伊那』1994-6
原 董 2000 「吉岡城址周辺の地名 (下條村)」 『伊那』2000-6
下條村教育委員会 1974 『吉岡城跡』 
下條村教育委員会 1990 『吉岡城跡II』 
下條村教育委員会 1991 『吉岡城跡III』 
下條村教育委員会 1994 『吉岡城跡IV』 
下條村教育委員会 1997 『吉岡城跡第V次調査』 
(資料写真提供:原董氏)


遠望
遠望
伊那郡吉岡城之図
伊那郡吉岡城之図

サイト内の文章・写真画像を許可無く転載・二次加工することを禁じます。
Copyright (C) 飯田市上郷考古博物館. All rights reserved.