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知久平城跡


1.所在地 飯田市下久堅知久平
2.城館の概要

飯田市史跡(1996年指定)。中世から近世にかけて天竜川左岸地域一円を支配した知久氏の居城である。段丘の端部を利用した平山城で、主郭を中心に複数の郭が連続し、空堀・土塁などの諸施設が各所に残存している。知久氏は武田氏の伊那郡侵攻に最後まで抵抗するが、1554(天文23)年に敗れて一時没落する。その後、1582(天正10)年の武田氏滅亡後は徳川支配地となり、知久平城は菅沼定利の居城となるが、菅沼氏の国替えにより1588(天正16)年廃城となる。

3.調査
  • 年次     1981・1995年
  • 調査主体   飯田市教育委員会
  • 調査原因   灌漑施設建設(1981年)、配水池建設立会(1995年)
4.調査の概要

灌漑施設建設時に主郭を調査し、建物跡が確認され、鎌倉末〜南北朝期の山茶碗の他、青磁・白磁、大甕(中津川窯)、かわらけ、炭化米が出土したとされる。また、配水池建設時に立会調査を行い、想定されている城の東辺を画する堀の肩を確認した。

5.遺物の保管 飯田市教育委員会
6.文献

市村咸人 1939 「知久平城阯」 『史蹟名勝天然紀念物調査報告』第20輯
平沢清人 1965 「知久平城飯田市知久平」 『伊那』1965-12
佐藤甦信 1991 「知久平城跡」 『伊那』1991-11
飯田市教育委員会 1983 『知久平遺跡群』


遠望
遠望

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