受賞作品小論文

浄土宗の一人の僧侶として、僧侶になる修行を行った浄土宗の総本山知恩院。
知恩院が開山されて以来、絶えるることなく続いた教化活動の聖なる現実、仏像、動物、建物、植物等の諸相と僧とのコラボレーション、すべてのものが同じ存在であり、仏性を有しすべての命が躍動する。
「人間」と向き合う。
人間とどう向き合うかは芸術の普遍的テーマ。
写真創造の衝動は、内面から発し、決して閉ざされたものでなく、自然や社会との豊かな関係から生まれる。人や風景とともに生き、生かされる過程に定着させる。
優しい光と風に満ちた知恩院での撮影のたびに、生きいきとして輝く僧との幸せな出会い、邂逅。
「世界をどう見るか」「人間とは何か」「世界と自分との関係は」
修行の地、知恩院で僧の風貌と対峙し、自分は何者なのか、どこへ行こうとしているのか、と言う哲学的な問いかけで、凡庸な思考のフィルターをはずしてシャッターを切る。それは、自分の姿の投影であり自分を確認した人生の一瞬の定着。
僧の風貌から、僧侶として、又、現在社会問題化している、虐待されている子どもたちを収容し養護・育成を行っている児童養護施設の施設長として、子どもたちと向き合い、いのちを育み、いのちの大切さを伝える、心のまなざし。
そして、宗教の新しさ、積極性、可能性、死へ向かわず生を、悲しみを説かず喜びを、天地、生きとし生けるものとともに生きる共生(ともいき)の世界の表現。
合 掌

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先ず、この作品の特質しているところは、僧侶が僧侶の修行を撮影していることだ。一般人が見た修行中の僧とは違う視点から修行する僧の心境を表現している。

修行とは、悟りを求めて仏の教えを実践することという。

この物語は、修行に参加した僧の記念写真から始まる。面白いことに、参加している僧の顔にはそれぞれの思い、心構えが見えている。これは瞬間をとらえることのできる写真でなければ表現できない記憶であり記録である。そして修行が行われている情景へと進んでいく。

黒い背景を基調として、そこに浮かびあがる僧侶たちの無表情とも見える表情には、それぞれが思念するこころ、仏陀の姿、真理の探究する姿が写し出されている。そして、自分自身のこころと葛藤する修行僧の心理までを見事に表現している。

写真は、この宇宙で起こるあらゆるものを視覚で伝えるメディアとして発達したものだが、この僧貌は、一般人の知り得ない僧侶たちの修行の世界を私たちに伝える力作であり、公募藤本四八賞にふさわしい作品である。

選考委員 田沼武能

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