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受賞作品小論文

2000年7月、「サミット、サミット。」と呼ばれ、沖縄問題が浮上した様な時、サミット前の沖縄への撮影旅行の機会に恵まれた。
5年程前にも離島を中心に観光したことはあったが、本島を中心にゆっくり歩いてみたい思いは以前からあった。
戦争による沖縄県民の人々の言いつくせない苦しみや悲しみ、負けた後の基地の中の沖縄、アメリカのいつ終わるとも知れない占領、続く米兵の犯罪。「サミット、サミット。」と沖縄の現状を世界各国の人々に見て貰うよい機会との宣伝、2日や3日の会議の場でわかって貰えるはずはない、はなばなしい宣伝の影で県民はどうしているのだろう、本当に喜んでいるんだろうか?
空港に着いてまず驚いたのは、5年前に比べあまりに整備されつくされた様子へのとまどいである。きれいに立派になることは良いこと、それが空港だけでよいのだろうか?
目的地に向かう道すがら目についたのは街路樹の刈り込み、道路工事のあと片付けによる規制、世界からの客人を守るための防犯対策だ。
これらの予算は?思わず問いたくなる。
金武(キン)の町に着いた。そこにははじめて目にするゴーストタウン。ここもあそこも暗く戸を閉ざしたままの家、すでに朽ちはじめてる家、乱雑な庭、はなばなしかった時もあったと思える店など、まさに軒並み不気味な雰囲気、そんな街中でも子どもたちは元気に遊びまわり、蒼い空はあくまで蒼く澄みきっている。そして軍の休みの日なのか、これ見よがしのイレズミをした米兵の姿もあった。
海洋博のあと忘れられた陽に放置された村、それでもはるかに伊江島を望む村に、老人や子どもたちはしたたかに生きていた。民族村では沖縄独特の文化が伝承されている。
ひめゆりの塔のあるすぐ後ろには、米軍の残していった廃車、タンク、飛行機までも棄てられたままに沖縄の空と海の間に横たわっていた。

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沖縄は太平洋戦争の敗戦により、アメリカが施政権を行使し、1952年(昭和27)に自治体琉球政府がおかれ、1972年(昭和47)米軍基地の存続など諸問題を残したまま日本に返還されたという特殊な事情を持つ島である。作者は2000年(平成12)七月に行われたサミットの機会を前にしてこの島の撮影行を試みている。

島は50年を越える米軍基地の存続によりすっかりアメリカ化され、物質文明の悪い面の象徴ともいえる廃車の山の光景からストーリーは始まっている。そして青空にたなびく星条旗、無造作に棄てられた基地の廃品と続き、かつて米軍の米兵を画面に入れこみ写し出している。その新鮮な色彩を使った看板がいっそう寂しさを表現している。

そんな植民地的な生活環境の波の中でも沖縄古来の伝統文化が守られており、その場面からストーリーは島の人々の暮らしへと移ってゆく。伝統と現代とのはざまで生活をする人びとの表情の影には、さまざまな問題が山積されており、静寂な光景の中にその苦悩が写し込まれている。

作者は以前に訪れた島の印象と、サミットを前にして訪ねた光景を心の中で対比しつつ画面化しており、アメリカの歓楽地的な色彩と沖縄本来の色彩とを共有させながら、独特のアングルで西暦2000年の沖縄をドキュメントしているところが評価された。

過去にこの賞を受賞した作品の傾向とはいささか異質なものであるが、審査員の協議の結果第3回の写真文化賞に「沖縄2000」田頭とみい氏の作品が選ばれた。

選考委員 田沼武能