受賞作品小論文

集落を過ぎて山の急坂を登ってゆく。車を降りてあたりを見まわす。山の静けさに耳を澄ましたとき、何処からか何人かの話し声が聞こえた。山肌には光と影がくっきりと境界線を作り出し、その部分に一軒古い日本家屋を見つけた。私は声のする方向に歩く。何か聖域に踏み込んだ後ろめたさはその時から感じていた。だんだんとその声が大きくなるにつれて獣よけのラジオから流れてくる音と知った。山端に響くラジオ、そこには誰もいなかった。蚕室も兼ねた家を取り囲む畑は、青々と光る野菜と、賑やかに咲き競う百日草と、早く終ったひまわりさえも丁寧に人の手が掛けられた様子で美しく整えられていた。人が「いるだろう」と近づいて「いない」のを知り、「いた」気配だけは確実に見た。不思議な感じの中、少しの間、その風景をただ見続けていた。
この清内路村には「出作りの家」と呼ばれる、夏の間に作物を作るために暮らす家がまだわずかに残っている。かつて養蚕が盛んだった頃から、冬は集落に暮らし、夏はそこで暮らしてきた。そこで、ある女性に出逢った。むしろ、その女性の存在に出逢ったと言ったほうがいいだろう。一度村の外に出て、やがて戻り、今は三人の幼い子の母となっている。彼女の村を大切に考えるゆえに、自分の身を律して生きる強さに惹かれ、私はこの村をもっと知りたくなっていった。と同時に、それまで私の中に見つけ出せ得なかった道筋を初めて見せてくれた。その意味はこの村と出逢ったばかりの頃はまだはっきりとは分からずにいた。
東京で、私はその女性のお父さんが亡くなったという知らせを受ける。並木の葉が色ついた頃だった。
毎年十月初旬、村の男衆が全て手作りでの花火を奉納する祭が伝統として催される。その日私はその女性の実家の夕食に招かれた。彼女のお父さんに出会った。すでに末期の癌と知らされていたそのお父さんはしっかりした目つきと痩せた手で私を迎え入れてくれた。ベッドの下のラジカセから負担のかからない程度のボリュームで音がかすれる時代のメロディーが流れていた。私はとても緊張した。家族と、そしてごく近い身内だけで囲んだテーブルに私も座った。彼女のお母さんはご馳走を並べ続けて一度も座らず、お父さんも美味しそうにご馳走をつまむのだが、何回か噛んで、そして、飲み込むことはなかった。手作り花火は仕掛け花火で、成功したと言って手を打って喜び、失敗したと言ってもっと手を打って喜ぶ。最後は大三国と呼ぶ火の粉の滝の下をきおう。このお父さんも去年、火の粉で穴だらけになった半被(はっぴ)でその祭りを仕切った。ベッドから力強く空中に手を差し出してそう語った。暗闇の中をその姿は残像になって踊る。帰り際、お礼に伺うと、お父さんは彼女に背中を擦ってもらっていた。挨拶する私に目をすっとこちらに見やり、「しっかりがんばってくれや」その瞬間、そのお父さんの体全体から発せられた力と声が、震えるような迫力と温かな気持ちとともに、私に流れ込んできた気がした。生き、伝えようとするものが激しく私の中で渦を巻いて、そして心の奥底に静かに沈み込んだ。
彼女と彼女の家族は私が同席したことが特別なことではなかった。たとえ病気のお父さんとの最後の花火の夕食でも他人を迎え入れた。生きている一場面に、大切に、しかしふつう通りに、私と時を過ごしていただいた。家族の聖域にいた私の時間、そこから何を汲み取ればよいのか、帰路、何度も思い出して……天を仰いだ。
訃報の後、彼女の実家を訪ねた。ベッドのあった奥の広間の隅には祭壇が飾られ、真ん中の広い空間にラジカセがぽつんと置かれて春日八郎という歌手の歌が小さく聞こえていた。それは、初めてこの村を訪れたときのあのラジオの音に似ていた。残ったものが亡くなった人に対して生きているときと変わらずに接する空間に身を委ねてみる。あの時、孫たちはおじいさんの傍らでマンガを読んでいた。残された時間、ほんの少しの交わりの中でも事足りた関係。人が死ぬということは生きているひとつのかたち。おばあさんは差し込む光に向かって話した。「この位の音量でずっとかけてやっとった」
小さな村の中では善い事も悪い事も共に同じ様に解決させ、共に営んできた歴史があった。私には彼女自身がそれをいつの間にか見つけ出して大切に抱えもっている中で行き着いたものに思う。その時ふと、この村の土にとどまり続ける根をもった花のように彼女を思えた。やがて、土から得た種を風に乗せて飛ばす花。人から人への伝承の中に残る大切なもの。だから、ここの眩しい光は信じられる。

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このフォトストーリーは、清内路村で出会った女性との交友関係の中で、その家族とのおついあいが始まる。そして村で毎年行われる花火の祭りの日に女性の家族の夕食に招かれる。女性の父は病んで臥せていた。そして、家族たちとの夕食会を談笑のうちにすごした。その後女性からその父の訃報を受ける。ストーリーは夕食に招かれた時に会った女性の父親との思い出を中心に組み立てている。山村の人びととの交流の中で、人間の絆、そして生きること、生命の原理をも写真と文章で語ろう試みている。

作者は「眩しい光」という言葉で文章をとじており、光にこだわりを持っているように思う。ストーリーの始まりも逆光線でまぶしい竹藪の画面からである。そして山村の暮らし、村祭りへと進んでゆく。村で出会った女性、花火などなど物語の構成もうまい。前途の如く光の扱いも上手で、美しい画面に仕上げている。

そんな力作なのになぜ文化賞にならなかったのかという疑問を抱く人がいると思う。審査員の間でも、そのことについて議論がかわされた。それは、前回文化賞を受賞した作者の父(南島孝さん)の作品の傾向に似ていることである。

もち論、山村をテーマに撮影すれば似るのは当然である。作者もそれを意識してか現代風にプリントの色調をとばしたりしているが、テーマそのものは違うとはいえ、山村を扱ったものであり、類似するものはやむをえないが、やはり作者の独自性がほしいということになった。すばらしい感性の持ち主なので、ぜひとも次回も頑張って写真文化賞にチャレンジして欲しいというのが審査員全員の意見であった。

選考委員 田沼武能

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